正宗白鳥の幻滅の根底にある「反権威主義」!幻滅が幻滅に終わらなかった理由
正宗白鳥(1879~1962)はよく「幻滅の文学」と云われる。
何ものをも信じない、何かシラケている、そこから手厳しく
否定的な評論を繰り広げる、と思われがちだが、例えばそ
の「ダンテ論」だ、これにつて芥川龍之介は「他のいかなる
ダンテ論をも圧する空前絶後のダンテ論」といささか驚愕の
思いから書いている。その正宗白鳥とは、である。
正宗白鳥は評論家として出発したが、その小説も、どれも
小説らしからぬ、だからつまらない、わけではなく、これも
芥川がひそかに絶賛した「死者生者」のような佳作もある。
だが、どうも評論臭の漂う小説が多いのは否めない。岡山県
の東部の名家、豪家の出で、瀬戸内海に面した穏やかな場所
である。
だが白鳥の生涯は最初から容易でないもので、病弱で陰鬱
な少年時代を過ごしたようだ。生の恐怖、不安に苛まれた結
果というのか、キリスト教にも惹かれた。上京し、植村正久
による洗礼を受けたが、卒業後間もなくキリスト教を離れた。
確かにキリスト教に純粋にのめりこむタイプとは思えないか
えあ当然と言えるが、これは臨終の場面でのキリスト教回帰
の話題を提供した。あまり意味があるとは思えないが。
白鳥は卒業後、読売新聞、まだまだ正力松太郎に買収される
より以前の原初の読売新聞である。美術、演芸、教育などを
担当し、社員として7年を過ごした。記者生活で社会を知ると
同時に、独特なパラドクスな見方、思考で評論家としての名声
を得た。その批評は非常に痛烈だった。漱石が死ぬ直前に胸を
はだけて「死ぬと困るからここに水をかけてくれ」と叫んで悶
絶したことをとらえ、「生きている間は則天去私などと云って
いた漱石だが、死ぬ前に俗物の本性を現した」と容赦なかった。
白鳥にすれば、日本の美術、文芸は強い理想も目的意識もな
い、無為無反省なものでしかなかったのだ。白鳥自身が消極虚
無の人間だったわけではない。ここが重要だ。たいていの学者
や教授連中は権威主義の理論と通説に堕する情けない唾棄すべ
き輩であった。ここに私は白鳥の持って生まれた反権威主義を
見る。白鳥は帝大の教授連中に曲学阿世、通俗道徳の下僕とい
う名称を奉り、美術家の銅臭、作家の安易軽薄を罵ってやまな
かった。その痛烈な怒りは、論語、バイブル、孟子、トルスト
イ、ゲーテなどにまで及ぶ。白鳥の初期の小説ときたら、全て
不平不満に満ちていて不機嫌そうだ。自らが「肉体の不健康、
精神の衰弱」の産物であり、「自暴自棄といったような気持ち」
から生まれたと述べているのだ。だが、それは誠に鋭い剃刀の
刃のような切れ味に満ちていた。
それは自己に対してもであり、夢も甘さも持たず、冷徹に客
観視しているのだ。
「僕は好きなものより、嫌いなものが多し。好きでたまらぬ
ものは極めて稀なり。第一自分自身があまり好きでなし。自分
の容貌智識才学に対しても不平なり。さればとて、誰の如くな
りたしと思うことなし。知人の百中九十九まではどちらかと云
えば嫌なり。両親兄弟に対しても、好きな分子より嫌いな分子
多きを認む。それでありながら自殺せざるは人間の生存欲、社
交欲の強きに呆れざるを得ず」
「自然の景色も愛玩の念なし。絵画も興味極めて少し。読書
も左程、有り難くもなし。芝居は時々なら好き也。劇そのもの
が、さほど面白いのでなけれど、多数の見物の中で,我一人超然
として傍観するのが面白し。役者が紅粉をよそおい、大まじめ
で変てこな真似をなせるが面白し。あれが大芸術だと思えば尚更
面白し。人生もこの芝居を見る態度で見るようならば、さぞ面白
からんが、僕未だその域に達せず」
これは『好きと嫌い』1908年7月の文章、
こういう本音をまず披露するということ自体が、単純な幻滅主
義ではないということだろう。ともかく白鳥がいかに自己の冷静
な観察者であるのか、さらに人生世相の辛辣な傍観者であるかは
窺われるとうものだ。実際、人生への積極肯定の気分はなく、生
への倦怠と灰色の雰囲気の中に、事故の病弊から目をおおわず、
自分の、云うならば空しさをあくさない生き方、そうした態度に
根ざす虚無的な冷たさが疑いようがない。
その白鳥らしさがまずよく表された作品は『何処へ』である。
石坂洋次郎原作の『何処へ』テレビドラマ化された作品とは大
いに以上に異なる作品だ。実はこの時期、『玉突屋』、『五月幟』
などの佳作もあったが、白鳥らしさを含む作品として評判をとっ
たにも事実だ。主人公の菅沼健次は雑誌記者で白鳥の人間性をか
なる共有思想な登場人物だ。健次は青年時代、立身出世も夢見た
が、世に出てみると、家の重荷を背負い、理想を失ってしまう。
何ら生きるモラルもなく、「主義に酔えず、酒に酔えず、女に酔
えず」幻滅の気分で生きねばならない。彼も周囲も決して明るく
はない。旧師は感動を失い、旧夫人は刺激に飢え、友人も家の重
を背負うてよろめいている。彼らは「何処へ」生命に満ちた生涯
をもとめるべきか?
全くの半端な尻切れトンボの小説だが、これは無脚色小説の見本
として、現代的なものと受け取られたのだ。人物は概念的で具象的
な人生の表現にはなっていない。
ごく簡単に白鳥の幻滅主義についてふtれたが、幻滅が幻滅に終
わるなら何の執筆意欲にもならないだろう、白鳥は確かに幻滅した
が、その根底は反世俗、反権威の魂である。重要な点だと思う。
正宗白鳥 明治35年、1902年
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