もく星号墜落、米軍が流した意図的な誤報の目的
1952年4月9日、もく星号は三原山山腹に墜落した。機体は
バラバラ散乱だが遺体の状況は「墜落」ではなく不時着して
失敗、にしか思えない。遺体の損傷はあまりに軽微である。
ここで問題は米軍が意図的になぜ「全員無事救助」の誤報を
流したのか?である。これも既に論じられ尽くしたことで、今
さらであるが。もく星号には八幡製鐵社長や大辻司郎など著名
人が搭乗していた。
全員無事の誤報を長崎民友新聞(現在の長崎新聞)がやらかして
しまったが、これも記者がかってに捏造ではなく誤情報をゲット
して飛びついたためである。長崎で開催の平和博に出演予定だっ
たせいもあるだろうが。大辻司郎がである。
「日航もく星号が遭難」⇒「漂流中を全員救助」⇒「乗客に
平和博出演の大辻司郎氏ら」⇒「米軍、海軍ただしに出動」
大辻司郎の写真とともに談話も、海を漂流して何ら変わらぬ
スーツ姿、「漫談材料が増えたよ」と「かえって張り切る大辻司
郎氏」
「九死に一生、救出された大辻司郎氏は生還の喜びを次のよう
に語った。『長崎の復興平和博に招かれていく途中でした。この
事故で出演が遅れて長崎の人にすまないと思っています。しかし
二度と得られない経験です。僕の漫談材料がまたふえた訳で禍が
かえって福になるとはこのことでしょう。長崎平和博では早速、
この体験談をやって笑わせるつろもりです。これから長崎に急行
します」
という架空談話、朝日新聞が宝塚山中で伊藤律に極秘会見した
という架空記事ほどでもないが、やはり歴史的な架空報道かもし
れない。
あの時代、米軍占領下で制空権は米軍第5空軍がもっていた。
朝鮮戦争はなお継続、伊豆大島から三宅島は米軍の訓練空域だっ
た。もく星号機体もノースウェストからの借り物、日本は全く
手が出せない遭難だった。
「全員無事」の意図的誤報は米軍からである。なぜすぐバレる
ウソを?それには理由があった、「時間稼ぎ」である。
今に伝わるもく星号の生々しい写真、機体はバラバラ、遺体は
あまり墜落と思えない状態で散乱している。撮影は?「サン写真
新聞」の勝頼記者だ。他の大手新聞社、共同通信記者などはまだ
大島に入っていなかった。「三原山に激突」という大手新聞の
記事がウソとわかる、不時着失敗のような様相だ。
この誤報とアイ写真新聞記者の撮影、から松本清張は即座に
事件の謎を解明しようとした。
名著「風の息」で
「アイ(サン写真新聞のこと)の写真は無理に縄を張った中に
潜り込んで撮ったものじゃない。すぐ追い出されただろう。カメ
ラ、フィルムも没収だったはず。だが余裕綽々で何枚も自在な向
きか悠然と撮影している。女性遺体の大写し、パイロットの写真、
アイの記者は二時間は早く現場に着いている、そのスクープの意
味は?だ」
まだ誤報が飛び交う中、勝頼記者は本社から電報を受け取った
「オオシマ フキンデ ニッッコウキ ツイラク ジュン
テハイタノム」
発信は4月9日午後9時25分、10時過ぎに勝頼記者はこの電報
を受け取っている。
勝頼記者の撮影の中には米兵が二人写っている。
「米軍捜索機から二人、パラシュート降下したんだ。翌日午前
8時過ぎだ。・・・・・・現場保存ではなく、現場変更だったは
ずだ」
二名で現場変更が何処まで出来るか、疑問は疑問だが。
勝頼記者は米兵に自動小銃で脅され、「出ていけ」と言われたと
いう。」
松本清張説は「米軍の標的にされた」というがなら激しく墜落す
るはずだ、パイロットを羽田で機体まで車で送った日本人はその後、
「死ぬ前に真実を話しておきたい、パイロットは泥酔していてロレ
ツが回らなかった」
真相は奈辺にあるのか、標的は可能性は低いと思えるが。
長崎民友社の誤報
機長スチュワート氏の遺体
遺体、機体の散乱
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