小島信夫『吃音学院』、世界文学史上最高の「吃音文学」?吃音経験者でないと書けない抱腹絶倒の内容だが、さて
小島信夫1915~2006,やはり長生きはするものだ。長寿は
栄典に通じる、必ずそうなるわけではないが。花柳章太郎は
別名、花柳賞太郎と云われたほど、多くの受賞をほしいまま
にした。岐阜県出身、岐阜中学(現在の岐阜高校)から一高
、東大英文科、応召、復員、高校教師などを経て、なのだが。
1955年、40歳で『アメリカンスクール』で芥川賞受賞、実際
戦後のどんなものものしい日本の文明批評より、痛快に面白
く真の文明批評を、というと堅苦しくていやだが、・・・・・
なし得ているというほかない、抱腹絶倒の作品だ。時期の前後
は分からないがほぼその同時期の作品、初期の代表作として
『吃音学院』がある。余談だが、私の(心の)妹は岐阜高校を
出ているから妹と同窓ということになる。
正直、『吃音学院』はやはり抱腹絶倒の中、ことの本質を見
事についている。実は今この作品は手許にない。記憶で述べる
だけである。ならKindleでも、『アメリカンスクール』など初
期作品群はKindle Unkimitedでセールされていても、『吃音学
院』は収録されていない。なおWikiの「小島信夫」でも「吃音
学院」は作品名として記載されていない。何かあるのだろうか
?と疑問を感じる。
さて、思い出しながら書くが、この世には「吃音文学」なる
ジャンル、があると云っていいのやら、著名と云えばサマーセッ
ト・モームだがあの男はどうにも自分は吃音だ、と云えず、そ
れを脚の障害という「きれいごと」にすり替えた「人間の絆」を
書いた。これも「歪められた」吃音文学だが、それを思えば小島
信夫の『吃音学院』は文句なしである。痛快だ、経験者でないと
分からない微妙なアヤを描き尽くして天上にさえ通じている。
モームなど小島信夫の足元にも及ばないと思う。でも小島信夫も
吃音だったのだろうか。そうとしか思えないが。
内容は吃音の主人公が吃音学院に入校するシーン、というか
タクシーを拾う場面だったか、から始まっている。このスタート
がまたいい、運転手に行き先を云わなくて済むように事前の学院
から目印の記章?を渡され、胸に付けてである。
で学院に最初に入ると、学院長からあれこれ質問を受ける、
その学院長の書いた内容を見て「健康らしい」、これには主人公、
大いにまいった?「私がとんでもなく見にくいせセムシのような
人間だった吃音などどこかに吹き飛んでしまうだろうが、」と学
院長の鋭い眼識にここでまず感歎しきり、
学院長は「周りの人間を人間と思うからいけないのだ、野菜か
果物くらいに思いなさい」
「くつろぎ給え、きみは怯えているが、怯えるには及ばない
よ。きみの怯えていることは、その口の歪み方や手つきで分かる
。いいか、怯える必要はない。おれを石ころだと思いなさい。
どの人間もみな石ころだと思うんだよ、・・・・・」
「先生も吃りですか?」
「当たり前ですよ、ここは誰もかも吃りですよ。教師もそう
ですし、小使いも小使いの息子もそうだよ」
これは早稲田鶴巻町にあった「東京正生学院」ではないと思え
るが、「~学院」と名がつく矯正所など滅多にはないので、どう
か。
で訓練が始まった。・・・・・その日ほど、惨憺と吃ったことは
始めてだった。その日ほど会話したことはなかったからであろう
か。・・・・・暗い気分にならざるをえなかった。
で吃音学院は全寮制である。生徒に女性、若い女性が一人、他
は全て男性だった。記憶から書くのだが、入寮している一人の若
い男、諸留が云うには
「お前は厚かましいから治りが早い、酒はいかんが女はよい」
と院長に云われて上機嫌だった。寮室に寝転び、仰臥して片膝の
上に片脚をのせて、エロ雑誌をめくりだした。
「女?」
「なんのことや、女?ああそうか。そうやがな。僕はええと
こに来させてもらたとぁ。僕は百人という悲願を立てとる」
「今まで十人しか知らん、もちろん、素人や、その中で処女が
少ないのが、吃りの次の悩みの種や」
主人公が、吃りくせしてそんな大それた悲願を立てても、無理だ
ろうというと
諸留は「あほう、くちの遅いものは、手は早いんや、こどもくせ
にわかるか!」
「そんな安物買いはしとうない、早い話が、・・・・・」
男は「かきもともいる!」柿本いね子という別棟にいる生徒だ。
だがその柿本という女性、一言も発していないのだ。それで何の
ために学院に入っている?と疑問だが作品ではそうなっている。
生徒たちは実地練習に出ていく。公衆に向かって話し出す。通行
人が立ち止まって嘲笑している。夜中である。
主人公の番になった。話し出すと公衆の、群衆をかき分け、十数
名の警官が飛び出してきた。~が逃げる姿が見えた。~の持った
風呂敷包が警官に捕まえられ、中身が散乱した。瞬間、主人公はそ
れがアジビラと知った、主人公は警官をわざとこのばに呼び寄せ、
騒ぎを起こそうという諸留の仕業とひらめいた。
一行は逃げ出すものもいたが、平素の電気料金を払わない後ろめ
たさのためだろう。主人公は壇上から引きずりおろされた。
「貴様は何だ!」
「おれたちは吃りだ」
「吃りが何だ、笑わせるな」
「吃りが演説をしているんだ」
「お前は吃らんではないか」
「お前が僕には石ころだから吃らないんだ」
「石ころだと!お前は何ものだ、その女は誰だ」
そう云われたのは柿本だ、
「わ・た・くし・も・ど・も・り・です」
彼女は主人公にすがりつくように始めて歌うように発生した。
これが最後の文章だったと思うが、今度、また本を入手(してみた
いと本音では思わないが)して詳しく読み直したいが、
まさしく唸らせる作品であった。何故か冷遇されている。そ
れは「小島信夫集」に収録されても、この作品だけは具体的に
解説されないのだ。
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