松生丸銃撃事件(1975年9月2日)に対しての事件直後の社会党の反応の問題点

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 もう古い話だが、1975年9月2日、佐賀県のフグ延縄漁船の
松生丸が黄海、中国旅大市東180km付近で操業中、北朝鮮の
警備艇に工作船の疑いで停戦命令を手旗信号で受けたがそれ
が理解できず、銃撃を受け、漁船甲板員の二名が死亡したと
いう事件が起こった。北朝鮮は1967年、金日成、金正日によ
る事実上のクーデターが起こり、粛清の嵐が吹き荒れ、強権
収容所国家へと突き進んでいった。日本からの「帰還者」狩
り、収容所送りも激増していた危険な時期(それは現在まで継
続している)だった。

 国際法上の公海上と日本側は主張、事実そうであったにせよ、
非常な危険海域での操業だったことは確かである。

 ここで一つ、興味深いのは事件直後の日本社会党の反応であ
る。1972年に日中国交が回復し、読売新聞などは週刊読売別冊
で「次は北朝鮮だ」と北朝鮮を称賛するなど、北朝鮮幻想は日
本国内にまだ根強かった。社会党も成田友巳委員長が平壌を訪
問、北の体制を絶賛するなど、その実態への認識はあまりに希
薄だったのは否めない。それは日本社会全体に云えたことだっ
た。

 事件直後、社会党は「領海侵犯があったとすれば、日本の漁
民を代表して謝罪する」と表明した。

 無論、折から北朝鮮を山本政政弘機関誌局長が北朝鮮を訪問
中で、とにかく漁民の解放帰国を何より優先するための謝罪の
声明だったかも知れないが、この点はその後、批判を受けるこ
とになった。

 北朝鮮という国家の体質、それ以前は韓国、李承晩政権の李ラ
インで日本の漁船が片っ端から拿捕、時に銃撃されていたわけで
ある。これは日韓国交回復で解決したが、北朝鮮の実態把握がま
ったく乏しい時代、「地上天国」という大ウソがまかりとおる日
本だった、・・・・・・だから、かどうか、あまりに危険水域で
の操業、運行ミスもあり得る、多くのケースがあるし、領海侵犯
とも断定はできないが、いきなりの銃撃、射殺は常識的には正当
化できないが、常識の通用しない国、というのは紛れもない事実
だ。

 射殺されてすぐ謝罪表明も、やはり奇妙であるのは間違いない。

 だが当時は、日本の風潮だったが、特に社会党などは北朝鮮を
絶対善、韓国を絶対悪とみなしていた。だから絶対善の北朝鮮の
警備艇に銃撃射殺されたなら、当然の過ちがこちらにあった、と
いう反応を社会党が起こしたのも自然は自然だった。罪の自覚が
足りないのは日本人だ、それゆえまず懺悔すべき、絶対善に和解
を請うには謝罪しかない、ということだったのだろう。

 これは北朝鮮内の粛清、片っ端の収容所送りという虐殺国家の
実態から意図的に目をそらさせる結果になる、のも当然だろう。

 「この世界の何処かに絶対的な正義を有する無謬の政治権力が
いる」という迷夢からまだ冷めきっていなかったわけである。

 黄海奥深くまで操業に出かける日本漁民の向こう見ずさ、と、
漁民だからといって生命が軽んじられてはならない。

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