鄭振鐸『書物を焼くの記、日本占領下の上海知識人』1954(岩波新書)ちょっと表面的過ぎる記述では

岩波新書で最初刊行は1954年、昭和29年である。いまなお
刊行され続けているから大したものだ。
著者の鄭振鐸は1898~1958,中華民国、中華人民共和国
の作家、評論家、政治家。別名を西諦といい、筆名とした。
1921年、魯迅、周作人、茅盾らと中国新文学運動のメンバー
となった。北京、上海でジャーナリストとして活動、また
中国古典文学者としても執筆活動、戦時中は上海に居住、
戦後は蔣介石政権から共産党を支持し、中華人民共和国成
立後は文化部の要職に就任、1959年、ソ連訪問中、搭乗の
航空機が墜落、死亡、61歳。
満州事変以後、中国大陸で15年にわたって日本軍は縦横無
尽といっていい軍事行動を繰り返した。それに便乗する日本
の民間人がいて、やはり追従の中国人もいた。戦後は対日協
力者を漢奸の名で厳しく処罰し、中には周作人のような大物
も含まれていた。
戦時下、では中国知識人たちの行動はどうだったのだろう
か、である。白か黒かと明確に二分も出来ないわけである。
おおまじで「大東亜共栄圏」に賛同した中国人もいることは
いた。鄭振鐸は日本軍に協力もせず、さりとて共産党、国民
党などと帯同して奥地に移動もせず、上海の租界で終戦を迎
えた。鄭振鐸がそうだったわけだが、歴史の証人の資格を十
分、備えていたわけである。
だが、この本、感じるのは中国古代文学については相当の
目利きであったと思うが、現実社会、人間への洞察には欠け
ている。時に綴られている日本軍占領下の上海での知識人の
群像は十分な探求がない。要は、噂話程度のタッチで書かれ
ている。そこにあるのは単純な善玉悪玉価値観だろう。
ただ重要な事実は、タイトルの通り、日本軍の圧力で多く
の書物を焼く羽目になった、貴重な書物を失ってしまった、と
云うのは紛れもない事実だ。
しかし疑問はここだ、
本文ではなく、帯紙だったが「日本軍占領下、上海で良心
の灯を守った中国知識人の生活を綴った初めての本」
だが知識人の占領下の苦渋は戦後以前、戦時中に存在してい
たはずだ。同時に、戦後は戦後で遥かに深刻な問題が生まれた
もいえる。別に日本軍の圧迫を過小評価ではなくて。
戦後に執筆された本ならもう少し、実情の冷静な把握、国共
内戦なども踏まえて書いてほしかった気はする。
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