東峰夫『オキナワの少年』1971、明るく乾いた筆致で哀切な情景を描く
1971年に文學界新人賞、翌年に芥川賞受賞だが作者は文壇
にはまったく見向きもせず自分の人生を生きた。編集者から
思想検閲を受けたことが文壇を離れた原因と云うほどで、と
にかく自己の思いを偽らない、というなら半端ない。1938年
のお生まれと云うから、もう86歳か。ミンダナオ島で生まれ、
敗戦で1945年、大分県に。翌年に父祖の地の沖縄へ。
実に悲しい作品だ、筆致は乾いている。どこにもエキサイ
トはないと思えるが表向き明るく、乾いた筆致である。一人
の少年が感じ、描く基地の島、オキナワだ。どこまでも悲し
いのだが、それを直接的に表に出さない。それだけに余計悲し
いのである。むろん、読者も乾いた気持ちでいいだろう。
この小説、凡ならずと思わせるのはその、何と云うか、文体
である。自在な話し言葉でいて、同時に妙に巧緻な感じという
のだろうか。ちょっと有名な部分かもしれないが
「朝霧でぬれて、ひえびえした風がよどんでいる通りに走り
出たら、いろんなあざやかなハンカチが落ちていたんだよ。な
にもひろうつもりではなかったけれど、ちょっと足でひっかけ
ると、あれ、それはパンティーだったんだ。かわいた路面がそ
の下にくっきりのこっていた」
多少方言的な文章もあるが、違和感はない、洗練されている。
巧まざる技巧だろうか。少年の家は売春婦をかこっていたが、
部屋が足りなくなり、少年は寝室から追い出されたのだ。
カフカのように断章ふうに、同時になかなか抒情的だろうか。
まず前半はそんな調子でいい味を出しているが、後半は「ロビ
ンソン漂流記」の愛読者の少年が、この島から脱出を図ろうと
するという具合で前半の個性的な文章、感性が崩れ去ってしま
っているようだ。だが少年にとって重要なのはこのやや稚拙な
島からの脱出それ自体であるようで、これについては続編もあ
るようだ。
「ロビンソン漂流記」から今度はトルストイに、高校進学か
ら移っていく。挙げ句に高校を退学する。トルストイほど高校
が魅力がない、と言うにしても高校生活がつまらないのは当然
で比較が何だかおかしいと思える。農業を志すも農地は手に入
らず、米軍基地の体育館で働いたり、そのあと、本土に渡ると
ころで終わる。父親の言葉で「山之口貘如うし、貧乏文士にな
るつもり」だったようだが。
この作品はユニークだが、これからさきが、頓挫というのが
この作者の人生の真骨頂なのだろう。文学賞欲しさの若者は巷
にあふれている、それらを睥睨のオキナワの少年だった。もう
86歳なのか、・・・・・。
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