自分の健康増進に医学も名医も必要ない、自らの経験的な智慧が必要なだけである


 実際の健康維持、増進、あるいは持病との付き合いにおいて
、別に「医学」は必要はなく、「名医」も必要ない、何よりも
「病院が病気を治してくれるわけではない」と知ること、これ
は現実的な智慧である。健康に「医学」は必要ない、というの
は「医学書」的な医学は必要ない、まあ有害無益ということで
常識的な医学的知識は持っていて害毒はない。メディアに紹介
される「名医」、そのグループに一切、関わりを持つべきでは
ない。また基本的に「検査」を行ってはならない。「どうせ悪
いに決まっている」と自ら心得て養生を尽くすことだけが望ま
しいのである。

 病院にすれば現実の疾患、特に慢性的な疾患を治す手立ては
たいていの場合、有していない。だいいち有効な薬品がないこと
が普通である。腎臓病に薬はないと云うが、肝臓病だって本来的
な意味での薬などない。目眩だって1970年すぎにある新薬が発表
されて以来、全く何の有効な新薬は発表されていない。対症療法
的な「薬」はあっても、治癒に結びつく本質的な薬はない場合が
圧倒的に多い。ただ医療機関は治癒への手段はもたなくても、少
なくとも「検査」で確実に収益を上げることが可能である。「検
査は絶対に必要」とメディアも動員して大衆を操作できる。人間
ドックはその最たるものだ。検査は無意味以上に、行うと必ず、
何らかの悪影響がある。放射線障害は無論だが、根底で妙な言い
方だが健康の「虎の尾を踏む」作用をもたらす。これは悪い意味
で、まことに奥深いが、真実である。

 他方、生活が無軌道でいいはずはない、真の健康への道を日常
、自らが体験的に学ぶ以外にないということだ。医者が「酒は百
薬の長です」という言葉を絶対に真に受けてはならない。別に禁
酒せよ、ではなく、酒を飲むタイミング、許容の健康状態は日頃
から自分自身が体験的に学ぶしかない、ということである。食事
は重要だが、これも医師の書いた食事療法についての本もまず、
真に受けてはならないことが大半だ。腎臓病は食事療法が最も
重要な病気だが、どの「本」を読んでも結果的に悪化を招くも
のがいい、現実の腎臓病患者の食事ほど微妙でデリケートなもの
はない。患者個人個人で、また体調で異なる。その微妙複雑さは
とうてい、簡単に表現できるものではなく、それは自分で学ぶし
かない。「悪いに決まっている」だから自らが常に学日続ける、
それを実践するしかない、ということである。それこそ真に必要
な「智慧」というものだ。到達点はない。

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