唐十郎『安寿子の靴』森鴎外の作品を下敷きに演劇作家・唐十郎の面目躍如

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 先日急逝された唐十郎さんのこれは名作だと思う。あの
「安寿と厨子王」を下敷きとしている。名前も互いにわからな
い一人の少女と一人の少年が赤い靴の片方を探して京都の街を
さまよう、・・・・・同名ドラマが1984年NHKで放送され、大
木な反響を呼んだ。実際、ドラマとしての作品が先らしく、そ
れから小説も派生したようだ。この時点でもはや芥川賞作家と
いう肩書もあった。状況劇場主宰もこの作品化の頃、20年以上
が過ぎていたという。

 母親と姉弟との関わりあいではなく、親からはぐれた幼い者
どうしの絆を森鴎外の作品の視点でなく、もっとエロチック、
というのか、七、八歳の少女の少女の時折見せる表情の中のエロ
さを追求というのか、

 何か歌舞伎の調子を思わせる七五調の文体、現実と妄想が交錯
する、ちょっとからくり人形のような世界だ。駆け出すような文
体が妄想の世界に入っていくのだろうか。妄想に近い部分をキー
ワードとして人間関係が構築されていくようだ。京都が舞台だが、
やはり唐十郎さんが幼い頃育った、戦後の下谷の騒々しい町並み
が重なっているかもしれない。オカマの巣窟と云われていたそう
だが。

 京都の中学生、十子雄、としお、は街で道に迷った少女がつい
てくる、さまようちに数年前に亡くなった姉の安寿子に贈った赤
い靴の片方を見つける、だが森鴎外作品と異なって、母親が乗り
出して十子雄はその少女と引き裂かれる。少年は少女を姉の生ま
れ代わりと思っていたのだ。その自らを厨子王を思う安寿の心に
なぞらえていた。でも下敷きにしたと云って奇妙なやり方がある
とは感じる。下敷きにして、およそ異質な創造を成し遂げたとい
うべきだろう。演劇作家、唐十郎の面目躍如と云うべきか。

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