死んで忘れ去られるどころか、生きていても忘れられている人が多い
寂しい話だが、よく「死んだらいつかは忘れ去られる」とは
よく云われるが、現実は実に厳しいと思う。生きていても実際
は忘れられている、事実上、忘れ去られている人が多いという
ことである。何か特技、というとおかしいが、社会にアピール
るできるような技術、芸術的な天分、多様な意味での才能が備
わっていて、その結果、交際も多い、人間関係も良好、ひとが
周囲に集まってくるようなタイプの人ならいい、取り柄もなく、
孤独、亀裂だらけの人間関係、自分で生きるより他人生かせて
もらっている、という暗鬱な孤愁の人間なら、もう死んで忘れ
られるとかでなく、生きていて既にひとからほぼ忘れ去られて
いる、もう孤独死さえ可能性が高い、という具合である。実は
このようなタイプこそ、ますます増えて日本では普遍的となっ
てしまいそうなのである。
今や現実世界、よりネット世界、on-line、SNSで開ける人間
関係と言いたいが、不思議だが、実際の世界で孤独、人に好か
れにくい、遠ざけられるタイプは、ネット世界、SNSの世界で
もやはり人から好かれないし、近寄ってもらいにくいのである。
これは顔の良し悪しとかではなく、やはり根底に備わった特性
というべきか、
核家族化は進むばかり、子どもと同居、くらいならある程度
ありそうだが、それでも結局、子供夫婦は出ていく。同居は難
しいものだ。子供が近くにいたらいいが、まずそれも期待しに
くいものだ、家族のケースバイケースだが基本、家族はますま
す離れ、夫婦だけになり、伴侶もいつかは先に亡くなる。これは
一般論でしかないが、それ以前の問題、人間的に人から遠ざけら
れやすく孤独な人間、ふと気づけばいつも一人ぼっち、いつも
黙って貧乏くじを引く役回り、何をやってもうだつが上がらない、
仕事は失敗続き、要領が悪く、人間関係も築くのが下手、もう
大方から忘れられている、・・・・・・、私はこういう人に心底、
同情せざるを得ないのである。
このように書くのも、実のところ、私がそのような人間、学生
時代は最後の大学では手ひどいシカト、学生生活を置くのが困難
なほどであった。あの時代は、悲劇続きの生涯でも最も悲劇であ
った。
そのような人間はどう生きるべきか、なら一人で、徹底して人
から忘れられて生きる、べきなのか、多くなくてもいい、何より
も友を作ることに、別に形ばかりの友を大勢ではなく、真に交流
でみる友達を少人数でいいから作る、ということである。実は、
それは人生のチャンス、ということでもある。
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