尾形明子『作品の中の女たち』1984,諸作品中の59人の女性を考える


 1944年生れで早稲田大卒、精力的に日本近代文学の特に女流
作家の研究において業績を挙げている尾形明子氏の著書である。
なお同姓同名、尾形明子で広島大学の心理学の大学院を修了し
て同大学の教授をされている方がいる。

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 この本で取り上げられているのは日本近代文学の諸作品中の
59人の女性の登場人物である。二葉亭四迷の『浮雲』のお勢か
ら平林たい子の『嘲る』の良子まで、読む読まないは別として、
二葉亭の『浮雲』は超著名作品だが、平林たい子の『嘲る』は
ちょっとまず知らない人が圧倒的に多いだろう。発表された年
代順に並んでいて、登場の59人の女性はいわば、明治、大正の
女性たちの生き方を典型的に示すようなもので、負の側面から
の時代の証言者とも云えるだろう。『嘲る』は平林たい子の初
期作品であり、『残品』と改題されたこともある。

 女流作家の作品もあるが多くは男子作家の作品である。した
がって、と云うべきか、ごく例外的な作品を除けば登場の女性
はいたって淡彩でしかないと著者は述べている。近代文学の優
れた研究者で主に昭和初期の女性総合誌『女人芸術』を研究、
そこから作品を数多く発掘している著者の尾形さん、は男性主
人公の陰に生きる女性に光を当てて、実際、短いページ数の中
で、その個性、意義を見事に把握されていると思う。

 基本が明治から昭和初期までの作品の女性登場人物だから、
その家制度の圧迫と制約、女性の生き方は非常に気苦しくもあり、
明治以降の国家神道家父長的家制度のも下、明治33年、1900年に
は女性の政治参加は禁止され、また妻だけに姦通罪が行使という
ことになった。

 だが時代の女性へのあまりの制約、軛を愚痴るだけではなく、
その時期の女性を通して現代に生きる女性をも照射していると
いうべきだろう。時代の制約、束縛にとらわれない女性の生き
方への共感、親しみをもって現代まで見通しているというべき。
主要な女性登場人物だけではなく、無名の女性の中にこそ、可
能性を見ようとしている。

 谷崎潤一郎のあの『痴人の愛』、で何か主体的に生きる女性
、ナオミも官能という武器を利用しているのみの存在である。
男の値打ちは出世とか金と天秤にかける女性は男性社会のエゴ
への怒りである。女性への制約も男性への制約も表裏一体とい
うことになる。

 宮本百合子の『伸子』、自伝的作品で、百合子が学習院教師の
夫との結婚から離婚までのニ年間を描いたものだが、妻の才能を
認め、手助けしたいという理解の深い夫からも解放されたい、と
願う妻、これは実は著者と重なる心情かもしれない。

 

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