実は100歳なんて少しも長くない、人生のあきれるほどの短さ
人生で100歳と云えば実質的な限界である。もちろん、それ
以上生きる方も最近は結構おられるようだが、100歳と誤差の
範囲内でしかない。バリバリ動けてならいいが、現実の姿は実
に厳しい。限界年齢が100歳と云うと100年、100歳はずいぶん
と長いように思われそうだが、実は、・・・・・別に私が生き
たわけでもないが、本当に短い、瞬間だと云う。99歳まで生き
た祖母、83歳ころだったか、脳梗塞で一ヶ月近く意識不明、医
師もすっかり匙を投げていて「このままずっとは、あんたらも
困るでしょう」と云ったものだが、突然、復活、稀代の超ヘビ
ースモーカーだった、・・・その祖母が亡くなる前「人生は本
当に瞬間だった、何にもできなかった」と歎息。「五十歩百歩」
という言葉がる。「五十歩逃げたものが百歩逃げたものを笑っ
た」ことの皮肉的な評価だが、それなら「八十歩」とか「七十
あゆむ」逃げた者が「百歩」逃げたものを笑ったならどうだろ
うか。つまるところ100歳生きようが、75歳、80歳生きようが
同じようなもの、生きればますます体は言うことをきかなくな
り、貯金も底をついて生活費もなくなる、生きるには健康だけ
ではなく、お金も必要(当たり前だ!)なのだ。
思えば5年前、10年前、15年前など昨日みたいなものだ。なら
それを将来で考えると、となると誰しもいささか愕然とするだろ
う、・・・・・・・・だからどうした?だが、人生に終りが来る
のは何百年生きても使い切れない金がある、というのでなければ
別段、悪いことでもないわけである。だが、さりとて簡単に死ぬ
わけにもいかない。
しかし
人生百に満たず 常に懐く千歳の愁い、・・・である。
邯鄲の夢枕、・・・・波乱万丈の長々とした夢を見て目が覚
めたら、眠る前から炊き始めた粥は、まだ炊きあがっていなかっ
た。

さらに荘子、胡蝶の夢
昔者、荘周夢為胡蝶 栩栩然胡蝶也
自愉適志與 不知周也 俄然覚 則遽遽然周也
不知 周之夢為胡蝶與 胡蝶之夢為荘周
さりとて、この世は絵空事でもない。生きることは闘いで
ある。短いことは救いでもあるのかもしれないが。
この記事へのコメント