志賀直哉『白い線』1966,「戦後」の志賀直哉とは?

志賀直哉は戦後の小説は終戦直後とも言える「灰色の月」
くらいなもので、端的に言って戦後は何も仕事はやっていな
いに等しい。小説は書いていないが、雑文めいた文章を集め
たらそれなりの量にはなる。だが思うに終戦後、「日本は国
語はフランス語にしたらどうだろうか」、「日本語では本当
に表現が出来ない」、とそれを日本語で述べているのだから、
ケルト人はウソつきだとケルト人が云った、ようなものだ。
「日本語では表現が出来ない」というと、自らの文学さえ否定
しかねない、戦後相当経って、座談会で、あらためて意見を求
められ、他の出席者が「あのフランス語の件は冗談だったんで
しょう」という意味合いの質問をしても志賀直哉は「いやいや」
とやはり日本語ダメ論を維持のようだった。これがどうも戦後
の仕事せず、に通じたとしか思えない。
実質、生前、最後の出版?になったのではないか、この1966
年、昭和41年の短編、随筆、小品など43篇を収めた志賀直哉の
エッセイ集と云うべきか。この年で志賀直哉、83歳である。
しかし、終戦時に志賀直哉はまだ62歳であった。志賀の戦後
は、本当に情けないと云うべきだ。戦後の集約がこの一冊とい
ってさほど語弊はないのだ。
昔、旺文社文庫の志賀直哉「暗夜行路」、あとがきエッセイ
をあの武者小路実篤さんが書いていた。戦後、仕事をしない
ことをどう考えていた?記憶だが「近くにいた若い人が志賀が
小説を書かないのを非常に残念がっていたが、志賀はそれに対
し『君にはそんなことを云う権利はない』と云った。若い人は
驚いていたが、私には何も云わなかった」・・・・・「若い人」
とは出版社の編集部員だと思うが、しかし戦後の仕事ぶりにつ
いては志賀直哉、その愚弟並みに堕した感もないとはいえない。
まあ短編と云っていい『白い線』が本のタイトルにもなって
いる。
「青木繁とか岸田劉生とか、若くして死んだうまい絵描きを
見ると、みんな実に上手いとは思うが、描いているのはいつも
どれもこっち側だけで、見えない裏側が描けていないように思
える」という坂本繁二郎の言葉を引いて「自分も、年寄って
坂本君の云う裏が多少書けてきたと思う」という意味合いのこ
とを書いている。
「見えない裏」とは、批評家的な皮肉ではなく、つまりそれ
で作品に潤いが出るような、ものを意味する。
この本には、志賀直哉が少年のときに死んだ生母の思い出や、
日常身辺雑記、犬も猫も小鳥も好きな志賀の「生き物談義」、ま
た旅の話、美術鑑賞の話など、多方面にわたって、「表現の難し
しい」はずの日本語で持ち前の清冽さというのか、端正な文章は
変わっていない。自然なユーモアが滲み出る慈眼のようなものが
備わっているようだ。43篇の文章、戦後の志賀を知る手がかりに
はなるが、芥川、小林多喜二、太宰治について書かれた文章は面
白く有意義である。
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