「五月晴れ」は「本来」の意味より、やはり「五月の爽やかな晴れ」こそふさわしい

聞けば「五月晴れ」の本来の意味は「梅雨の合間の爽やかな
晴れ」だという。それは「小春日和」と同じような用法なわけ
だが、今は一般には正真正銘、五月の爽やかな快晴、の意味で
使われる。もちろん、梅雨の晴れ間を、まれにだが「五月晴れ」
というケースもなくはないが、正直、違和感を感じてしまう。
真冬に「小春日和」は違和感はないが、「五月晴れ」をどこま
でも「梅雨の晴れ間」だとして使われたら反感を覚えそうだ。
ものの本には
「もともとサツキ晴れというのは、梅雨時の晴れ間に現れた
青空のことを云ったもので、晴れだが非常に蒸し暑い天気なの
である。ところが今は、このサツキ晴れが五月のカラっと晴れ
上がった青空を指すようになった。これに対して従来的な言葉
使いに厳しい人たちが異議を申し出ることがある。サツキ晴れ
をそう使うながゴガツ晴れと云うべきだと。これは一般に人に
はどうでもいいことであり、心の自然な使い方こそ定着する、
わけである。私はサツキ晴れはやはり五月の爽やかな快晴にこ
そ使いたい、それでいいと思う」
正用、誤用と云って定着して人の心にそれが自然なら、それ
こそ正用ということである。「小春日和」は本来の使い方は
そのままで生き残ったが、「五月晴れ」は人の心により染み込
む自然な用法に落ち着いたのである。
まあ俳句とか文学者などは口やかましいから以前、梅雨の晴
れ間、蒸し暑い晴れを「五月晴れ」と使い続けるのだろうが、
気象学者の大谷東平博士もこう書かれている。
「さて五月雨と書いて『さみだれ』と読むのは現在の梅雨と
は承知しているが、五月晴れと書いて「さつきばれ」と読んで
梅雨の合間、あるいは梅雨明けの晴天だという昔の人の解釈は
、なんとも現代人には違和感ばかりであろう」
大谷説は定着したのである。
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