三浦朱門『箱庭』1967、読めば読むほど腹が立つ「プチブル的スマート処理」の結末

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 妻は曽野綾子、夫婦そろって「正論」大賞受賞、また「少数
のエリートだけのために高度な教育はあればあいい、残りは知
識、教養などいらない」とエリート主義思考から「ゆとり教育」
を推進したという三浦朱門、特別、裕福とも思えないが、それ
ゆえのプチブル的、小市民的な都会的なテーマを、いささか、
投げやりな虚無性を帯びてうまく扱う作品を生んだ作家と言え
るだろう。遠藤周作とも親しかったものだ。だからその作品は
重厚さを欠くゆえに基本的に作家としてはあまり評価されない
傾向だったが、権力に寄り添っての後半生の栄達は呆れるほど
だった。文化庁長官まで仰せつかった。

 この作品は1967年、そういう三浦朱門によって書かれた、ま
だ保守的、右翼的発現は露骨でなかった。

 三浦朱門は、何と云うのか、その資質は吉行淳之介ともまた
違った都会的センスがある。基本的に短編も長編も向いておら
ず中編に特化する傾向の作家だった。だがその例外的な長編が
この『箱庭』である。第14回の新潮文学賞受賞だそうだ。

 内容は青年時代にデューイの教育理論に傾倒し、知行合一的
な中学を創設した風変わりな父親を持った長男夫妻、次男夫妻
を中心として展開の話である。おおよそ父親は70歳くらい、長
男は40歳ほど、次男は30歳ほどだろうか。皆、年齢相応の妻が
いる。

 長男は社会評論家というような自由業で、次男はある製薬会
社に勤務している。次男は社内でも評価され、ドイツに派遣さ
れた時に知り合った金持ちの娘を妻としている。物語は結婚生
活15年の長男が、ふと庭先に出ている次男の妻をしげしげと覗
き見するところから始まる。

 父親夫婦、長男夫婦、次男夫婦は家屋は別だが、同じ敷地内
である。月に二度ほど料理を持ち寄って父親の家で会食するこ
とにしていた。

 その日は弟の帰宅が遅くなり、電話して会食を欠席、たまた
ま弟の浮気を発見した兄嫁の告げ口でちょっとカリカリしてい
る弟の妻は慰めに来た兄と容易く通じてしまう。弟の妻は余計
なお節介をした兄嫁と亭主への一種の仕返しというので義兄に
身を任せたようだ。兄もさすがに不倫の反省めいた気持ちはあ
った。ただ臆病な性格から浮気めいたことはしたことがなかっ
た兄は、それなりに満足感もあった。ただ妻の目だけは気にな
った。

 そういう不倫な状況で当事者と周囲がいかに傷つくか、従来
の小説ならそれがテーマになりそうだが、そんなトラブルめい
たことはこの小説では起こらない。ただ父親が肺癌なのか、肺
が原因であっけなく亡くなり、それが直接の原因となって三世
帯に深刻な影響を生じてしまった。そのなかで些細な情事など
霞んでしまう、ここらが三浦朱門の「都会的スマート処理」と
でも云うべきだろうか。それにつづく弟夫婦の離婚と弟の海外
転勤、という結末はあわただしくも安易であると思う。なにか
トタバタ的すぎる結末である。

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