〈地域の話題〉衆議院、福山選挙区(広島6区〈旧7区〉)から薄情な宮沢が追放され、実力の小林の時代へ
至って地域の話題である。広島県衆院選挙区、新選挙の6区
は純粋に福山市全体だけから成る希少な選挙区である。これと
似ているのは近い距離にある岡山県の衆院選挙区、新選挙区の
第4区が倉敷市全体と「早島町」から成る、である。早島町が
4区から抜けてくれるか、あるいは倉敷市と合併したら福山選
挙区と同じ「純粋選挙区」になれるがまずその可能性は低い。
人口は倉敷市のほうが福山市より多少多い。・・・・・
ところで長年、福山選挙区を、福山に君臨した「宮沢」は宮
沢喜一の甥の宮沢洋一が中国選挙区に追放されたことで消滅し、
その後を引き継ぐのは小林、である。現在の福山選挙区選出は
小林史明である。史明は「ふみあき」と読む。
小林史明は地元の英数学館高校から上智大学を出ている。
つまるところ福山で長く大立者であった元日東製網社長、元参議
院議員、東京商大卒、旧制福山中学卒の小林政夫の孫である。順
当に福山選挙区が小林の君臨となったのである。
もとも宮澤喜一の父親は国会議員で喜一は東京生まれの東京育
ち、福山とは縁が薄い人物で面倒見の悪さ、その高慢な人間性は
地元で非常に嫌われていた。で、小選挙区制となった福山はほど
単独で小選挙区、後を継いだのは喜一の甥、喜一の弟で元県知事
だった宮沢弘の息子、宮沢洋一である。宮沢系に共通は東京生ま
れの東京育ち、東大法学部、大蔵省(財務省)官僚という経歴で、
田舎の福山の者には親しみの希薄な、不人気なキャラクターであ
った。宮沢は祖父レベルであの増税メガネの岸田の祖父とも血縁
関係にある。
宮沢洋一も人気は乏しく、本来は保守地盤で楽勝を重ねてもよさ
そうなものだが何度か苦汁をなめている。なにかと云えば「消費税
をもっと上げるべき」と財務省官僚の論理を咆哮するので増税マシ
ーン的で不人気がさらに不人気となった。選挙は結果は低調でつい
に中国選挙区の比例に回された、で福山選挙区の後継は小林一族で
ある。
で小林政夫という人物は長く福山に君臨、地元の学校から東京
商科大学(一橋大)、現在の日東製網に就職、社長に、福山商工会
議所会頭、また参議院議員も、緑風会に所属した。
福山商工会議所時代、駅前の「元町再開発」を見事に成功させ
た。その後の会頭が西町に「そごう」を誘致し、伏見町再開発を
おじゃんにする大失態を演じたのとは対照的な見事さだった。
ここで元町は天満屋福山店が現在より小規模で存在し、周囲に
多くの小店舗があった。だから再開発はそれら小店舗も含めて
一括して天満屋のものとして再開発しなければならない、だが
個々の小店舗は多くが競売物件となっていた。これを虫食い的に
よそ者に落札されたら元町再開発は崩壊する、・・・・・全て、
まとめて落札しなければ、・・・・・ここで会頭は浅野組にそれ
を依頼、浅野組若手の串田芳明が競売場にのりこみ、制圧、一気
に一人で落札した。その後、小林政夫が串田からそれらの物件を
購入し、天満屋一社による再開発が可能となった。実際、四国な
どからも落札しようと乗り込んだものもいたが、個々を突破でき
るのは浅野組の力を借りるしかなかった、それを善悪で判断して
はならない、不手際を重ねた伏見町がどうなったか、を考えれば
わかる。小林政夫は「あの人は悪い人ではない」と串田の功績を
称えた、とかいうが、要は小林は福山の実質、最大の実力者であ
り、衆院福山選挙区も薄情で何もしない宮沢から実質貢献のある
小林に移ったのは当然ということなのである。
右側は小林の功績で再開発成功の元町、天満屋福山店、
左は再開発失敗で戦後の闇市がのこる伏見町
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