壷井繁治『激流の魚ー壷井繁治自伝』1969,この作家を忘れてはならない、

壷井繁治は1898年、明治37年に小豆島で生まれている。この
小豆島という小さな島から三人の偉大な作家が輩出されている。
壷井繁治、その妻の壺井栄、また『渦巻ける烏の群』などの名
作を残す醤油文学作家でもある黒島伝治である。従来の常識で
は『二十四の瞳』の壺井栄の知名度が圧倒的に高い、というこ
とになるが、あの映画化からも長い長い年月が過ぎた。現在は
黒島伝治再評価が凄い(と思える)が、また見逃されがちな壷
井繁治の業績も再評価すべきだろう。特に壷井繁治はこの3人
でも最も先駆的な業績を残している。
この作品は1969年刊行の描き下ろし自伝である。かなりの長
さだ。ただし内容は戦争終結までである。戦後の歴史は述べら
れていない。全体は三部に分かれている。第一部は幼年期から
1921年、大正10年まで、第二部は1921年から1934年、昭和9年
まで、第三部はそれから1945年夏までである。戦後部分はない。
第一部は小豆島の農家の四男に生まれた著者が海軍士官になろ
うと江田島の海兵入学を望むが、近視で断念に至る。失意の中で
偶然「サーニン」を読んで、既成の権威に反抗する文学志望に移
り、早稲田入学、だが中退、姫路歩兵第十連帯入隊までが綴られ
ていおる。これが1921年までとなるが、日露戦争前後から第一次
大戦を経て、大正9年、1920年に結成される日本社会主義同盟結成
までが時代背景と成る。
第二部は大正12年、1923年1月に萩原恭次郎、岡本清、川崎長太
郎、壷井繁治の四人を同人として創刊された前衛的な詩誌「赤と
黒」前後から、岩井栄都の結婚、アナーキストからコミュニストへ
の転換、戦旗社の経営責任者、二度の入獄、転向、保釈など、かな
りの波乱万丈の時代が描かれる。
第三部はプロレタリア文学運動が壊滅し、日中戦争から対米戦争
へ、その終結まで、最初は詩人として時流に抗したが、ついに思想
的に屈服せねばならなかった苦渋の体験である。
それぞれいいが、第一部、幼い時代から海兵断念、反逆文学への
決意までが最も面白いだろう。いよいよ早稲田入学で上京となって、
母親が「繁よ、なあ、お前、偉い人間にならんでもいいから、悪い
ことだけはしてくれるなよ、これだけは頼むわな」と訓戒を受ける。
だがその訓戒にもかかわらずである。第二部は意外につまらないの
だ。それより吉本隆明から戦争責任を追求されたことなどを綴る第
三部は結構面白い。
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