寺内大吉『だいこく(梵妻)』1957,寺院内のどろどろ愛欲描写で丹羽文雄、水上勉ばりだが、不徹底
晩年は浄土宗宗務総長、さらに2001年には増上寺の第87代
法主というまさしく要職に就かれた寺内大吉さんだが、他方
でスポーツ解説、競輪などのギャンブルにも造詣が深い、深
い以上だが、世俗の心にも深く通じた方だった。ベレー帽で
人前に出てトレードマークとっていたものだ。
1955年に『逢春門』でサンデー毎日大衆文芸賞、1956年に
『黒い旅路』でオール読物新人杯、1961年『はぐれ念仏』で
直木賞受賞、・・・でその間の時機の『だいこく(梵妻)』であ
る。
麻生の尼寺に育った「ふさ」は庵主の死後、庵主は自分の
母であることを知った。庵主は伯爵家の娘であり、出家して
からも高い僧階を約束されたが、若い美男の僧、俊英と不義
の関係を持って、いまは門跡に昇格の俊英の仕送りで尼寺で
世を忍んで生きていた。
母である庵主の死後、ふさは龍円寺の弟子僧の文道の妻と
なる。文道は住職の妾の連れ子だった。ふさと文道の間には
早苗、文雄のニ子が生まれるが、女学生になった早苗は不良
仲間に入って警察に補導されたり、左翼学生とも深い関係を
もつ奔放な性格だった。
その早苗が教員の木暮と結婚してすぐ、ふさは亡くなった。
早苗は母亡き後の龍円寺を切り回すため夫と実家に戻るが、
納所僧の和順と関係を持って木暮に現場を見られ、離縁する。
その頃、胸の病を持った文雄は看護婦のつや子と親しくな
っていた。和順の子を見もごった早苗が田舎で出産し、戻っ
てみたら龍円寺の事件はつや子のものとなっていた。文道は
つや子にやられっぱなしで頭は上がらず、龍文寺はつや子の
支配下となった。
大衆小説路線の寺内大吉が、疑似水上勉、丹羽文雄のように
寺院内のドロドロした色欲、争いを描くということで登場人物
はみな悪の傾向が強い。悪を描いて善悪を論じるかのようだ。
ここでは丹羽文雄ばりの、というか影響を受けたのか、寺院内
のドロドロばかりで背徳として批判するのでなく、それを人間
本来のエネルギーとして書いているようだ。なら丹羽文雄、水
上勉のようなそれに徹したスタンス、・・・・・・がないので
ある。不徹底である。大衆文学の枠を超えているが、それが純
文学に成り得ていない。寺院名内の愛欲トラブルも競輪の、キ
ックボクシングのエネルギーに似て生きる力?という風情もな
きにしもあらずだ。
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