梅原猛『水底の歌』1974,柿本人麿、水死説という野心的な説を提示し、斎藤茂吉の「定説」に挑む

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 法隆寺論で日本古代史に大きな議論を呼び起こした、その
後である、今度は柿本人麿の終焉にまつわる野心的な説であ
る。いかんせん、古代の人物すぎる、万葉集には紛れもなき
和歌が載せられている。確固たる歴史的資料が乏しい。謎だ
らけでらう。実在は間違いないだろうが、その実在の有り様
も確実性がない。要はあの和歌である。

 そのさっぱりわからない謎だらけの人麿の終焉についての
梅原猛の大胆な説である。いいにくいが不純な動機があるの
ではとも思えるが内心はわからない。

 私は実は知らなかったが、人麿の終焉については斎藤茂吉に
よる「定説」があるという。それ以前にも諸説があったそうだ
が、斎藤茂吉が歌人としての直感と限りない情熱、さらに精神
科医の学識も動員して提示した克明な説であるという。かくし
て学界でも茂吉の説は半ば、定説として扱われてきた。

 だが梅原猛は激しく茂吉の説に挑みかかる。正当なプロセス
を踏んでの人麿の終焉の地の決定ではなく、ただただ歌人、茂
吉の情熱の上滑りの結果だと梅原は云う。茂吉説を検討すれば、
あまりにひどい我田引水なコジツケ、幻想の結果ではないか、と
厳しく批判を加える。

 梅原は「人麿の霊の名において、茂吉は断じて許せない」と
咆哮する。まずは茂吉説を詳細に紹介する。そこに厳しい批判
を加え、完膚なきまでに茂吉説を叩きのめす。

 茂吉が見落としている、実は意図的に隠蔽したものにこそ真
実が潜んでいるというのだ。梅原が注目したのは伝承史料や古
注に示されている「人麿水死説」なのだ。

 あれほどの宮廷歌人の人麿はいったいなぜ、辺境で水死した
のか?そもそも人麿とはいかな人物だったのか、いかな人生を
生きたのか?史料はあまりに乏しいだろう。「正史」に人麿の
名はない。正史の「柿本猿」とは関係があるのかどうか、人が
なぜ猿になったのか?

 なのだが、茂吉説以前の賀茂真淵説があるのだそうだ。江戸
時代における至って妥当な推論だろう。真淵説の批判も必要と
なるから、もう徹底して検討しなければならない。だがいかん
せん、史料,資料は貧相だ。コジツケにならざるを得ない。

 梅原猛の野心的な説は、その生涯、宮廷のトップ歌人から政
治事件、恋愛事件で失脚し、律令体制から疎外され、石見の国
に流され、水死の刑に処せられた、・・・・・・というのだ。
水死の刑など当時あったとも思えないが。つまりわからないと
しか言いようがないと思えるが、梅原の野心はとどまる所を知
らない。

 正直そのようなこと、分かるはずがないのだから、一般人が
こだわることでもないが、この立場の人となると精神の持ち方
が異なるようだ。推理小説と思って読むのもいいと思う。しょ
せんは誰にもわからないのだから。

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