高橋義孝『幸福になる条件』1957、名うての「くせ者」的評論家による、読めば読むほど不幸になりそうな「幸福論」
いままで「幸福論」の類は著名人が数多く出している。で、
「高橋義孝」、若い人?はもう親しみはあまりない、さてジャ
ンル的にはどうなのか、無論、文芸評論だが九州大学教授であ
った、私はその「森鴎外」が一番印象に残る。ちょっと凄いと
思った。それはそうとして「幸福論」の類を読んで本当に「幸
福」に近づけるのかどうか、「幸福論」などいくら読んでも、
現実「幸福」に多少なりとも近づけることは正直ないと云うの
がやはり結論だ。・・・・・・そこで高橋義孝のこの本である。
もう超古書で著名でもないが面白い本である。名うてのひねた
文言評論家の吐露の「幸福」論だ、面白い。
やはり名うてのくせ者である。一筋縄ではいかない。
「われわれのからだから排泄される、われわれ自身の糞便の
臭気が、われわれにとってひどく不快だ、ということはあまり
ないのに、他人の糞便の臭気はなんとしてもやり切れない。
・・・・・・なぜそうなのであろうか」
そりゃ誰しも感じる?のだろうか。自分のものなら糞便も、
なぜかかわいい?そりゃ真実だろう。どんな美人も糞便を出す。
今昔の話からの換骨奪胎なら芥川の『好色』が窮極だ。
「糞便」から切り出される「幸福論」が甘いものでないとは
即座にわかる。どこにもバラの香織などあろうはずはない。下
品ですらあるが、ここから大マジでフロイト流の精神分析談義
に入っていく。
第一章「他人の糞便について」に続く諸章も「エゴイズムの
渋面」、「すべからずの裏側」、「祭礼の前身」、「女性の敵
としての文化」などというおよそ「幸福論」からは想像しにく
いイメージであり、高橋義孝の趣味性、思想にマッチのタイト
ルがつけられているが、内容はフロイドの「文化の居心地わる
さ」、「トーテムとタブー」のかなり忠実とも言える紹介と、
さらにつづく自由な評釈が続く。
すなわち人間における嗅覚器の退化とこれに代わる視覚器官
の発達、幼児欲求の潜在化、タブーと強烈なる誘惑、愛の衝動
と死の衝動、などと一般人には親しみもないフロイドの学説の
メインテーマが羅列され、谷崎潤一郎の『鍵』、志賀直哉の『
和解』、与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』、ゲーテの
『ファウスト』、カロッサの『指導と信徒』などのふれつつ
つまり、・・・・・「文化」と「知性」を手に入れた人間が、
代わりに「愛」と「生」の強烈な衝動を鉄格子の中に閉じこめ
るしかなくなったとき、特に現代人には知性に保証された「灰
色の幸福」しか望み得ないという。
「幸福論」といってフロイド学説の知識をなぞったようなも
のでしかないようで、読めば読むほど不幸な気分になりそうだ。
「幸福論」はいわば偽りのタイトルで、本音は評論家たる高橋
義孝の雑駁な楽屋裏を展示したかのようだ。そう思って読めば
無為に終わるとも断言できないが、・・・・・。ため息である。
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