有吉佐和子『白い扇』1957,直木賞候補作、日本舞踊の世界を描く、山崎豊子との比較が面白い

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 有吉佐和子、1931~1984,有吉佐和子、処女作は1954年の
『落陽の賦』、翌年1955年『地唄』で文學界新人賞候補、こ
の作品は翌年、1956年上期の芥川賞候補となった。さらにそ
の翌年、1957年の上期、直木賞候補になったのが『白い扇』
だった。本格的な文学賞受賞は1963年の『香華』で小説新潮
賞まで待たねばならなかった。前半は候補ばかりが多く、後
半は受賞ラッシュとなった。

 まあ文学賞の受賞などどうでもいいが、最初期の有吉佐和
子は非常に日本古来の伝統芸能の云うならば古い世界を舞台
にしたものが多かった。1956年の『地唄』は、実際、いかに
も古めかしい取材の作品のようで、戦後の混乱期を生きて何
か古い日本の世界への郷愁を描いたというのだろうか、この
頃の有吉はその傾向が強かった。『キリクビ』邦楽、『まつし
ろけのけ』歌舞伎、『ぶちいぬ』顔師、『帯』衣裳つけ、小道
具の職人の世界など、ちょっと若いに似合わず、というのか、
あまりに時代から外れたような伝統世界、もちろん文学の舞台
というなら珍しいとも云えないが。その古い世界を遠くから眺
めるというスタンスであろう。あの若さの時代、ただただ古い
世界の独自の型、頑固さ、しぶとさ、自尊心などを現代の目で
見直そうとしたかのようだ。

 直木賞候補となった『白い扇』1957年6月、日本舞踊の世界が
舞台である。

 実は花柳界に寄生する形で生きてきたような日本舞踊の世界、
そこにまず見られないような一人の女性を登場させている。美
和子「無色透明の自由の中から、ポーンと生まれてきた童女」の
ようだと述べている。このいかにも素人くさい小娘が、その古い
世界で「どの色にも天性染まりようなく遊び転げている」という
さまを描き出している。

 美和子は宗右衛門町でも屈指の売れっ子の花竜を尻目に、師匠
の猿舟を惹きつけ、その養子の美青年の滋も信頼させてしまう。

 法善寺の聖天さまに連れ立ってきた花竜に「ぼんぼんとのこと、
よう頼んどきいな」と言われても「神さんに頼まんかて、大丈夫
やと思うわ」と答えるのだから。

 古い伝統世界、さらに新しい近代、というのか現代の世界と
水と油のようだが、それに構わずこの二つの世界を思うままに
往来していればいい、というのが実は真のテーマだろうか。

 船場を舞台にし初期に名作を次々に連発した山崎豊子と初期の
有吉佐和子は何か似ている、共通の土壌がある、と感じさせる。
だが山崎の船場者のほうがやはる優れている、というのか格段に
重厚である。

 53歳で亡くなった有吉佐和子、前半期のひたすら古い世界を描い
て文壇にそのポジションを求めようとした。しかし徐々に非常に
チャレンジングとなっていった。

 

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