小沼丹『懐中時計』1969,(講談社) 私小説的に「死」を飄逸味で描く短編集

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 現在は「講談社文芸文庫」として出ている。最初は同じ講談
社から1969年に刊行されている。小沼丹1918~1996、講談社
文芸文庫版はKindleで読める。

 この作品集には11篇の短編が収められている。まず「大寺
さん」という中年男性が主人公となっている1965年前後に書
かれた4つの短編、さらに1955年前後に書かれた「僕」を主人
公とする3つの短編、残りはやはり1965年前後に書かれたも
ので「僕」を主人公とする1969年前の作品も混じえている、お
おおよそ3グループに大別されようか。

 これだけの短編集のために長い年月を要したわけで、いわば
寡作ということを意味する。早稲田の作家であり、井伏鱒二に
師事した小沼丹、早稲田教授が本職だったので自然、寡作にも
なったのだろうか。執筆年代が古い第二のグループ、いかにも
小説的なというのか、刺激的なテーマが扱われていて交通事故
死、毒殺、発狂など、その主人公の「僕」が観察者、報告者的
に描くというもの、テーマは刺激的なようだが、いたって日常
的性の中に自然に溶け込んでいる。そレから10年ほど経っての
作品群は第一、第三のグループというのか、作品群なのだが、
「大寺さん」を主人公としたグループの方が作者独自の私小説
風になっていて「僕」が観察的に述べるという第三グループは
実質、客観小説となっている。ただどちらも、「死」という深
刻な非日常的なテーマが背後にあって、それを横目で見ながら
というのかそれを淡々と飄逸味的に、洒脱に描き出す、という
もの、まあ、こんな言葉で言ってみた所で読まないと始まらな
いわけである。

 表題作の『懐中時計』主人公が酔っ払って腕時計を失って
しまったら、それなら父親の形見のロンジンの懐中時計を
譲ってやろうという同僚が現れる。がタダでくれるわけもな
くて、値段が折り合わない。手間取っていたら主人公の妻が
急死、追うように同僚も死ぬという死を乱発した作品。所有者
は死んでも無機物の時計は時を刻み続けるという空しい味わい
を漂わせる。主人公な大学勤務で作者の小沼丹の状況と符合し
ている。

 

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