山口瞳『木槿の花』天才!山口瞳の冴えた勘と直截的味わい

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 私は日本の近代、現代作家で天才と云い得るのは稲垣足穂と
山口瞳だ。もちろん、私の主観にしても見事な作家、文学者と
断言できる。で、山口瞳さん、その描写は鋭い、偶然、川端康
成と近所だったことで身近に接した経験が多かったが、その川
端描写は臼井吉見の例の「てんまつ」にもそのまま長々と引用
というのか、盗用されたくらいである。本当に辛辣で軽妙だ、
また切れ味鋭い短編の名手である。その生存当時、小言幸兵衛
的な作家とも言われていたそうだ。落語の中の何にでも小言を
云って回る男のこと。

 1926~1995で1982の頃、この時期は長編『居酒屋兆治』が
代表的としても、週刊誌にすでに十数年にわたって書き続け
ていたエッセイ、刊行されてその第17巻目『木槿の花』(むく
げのはな)がある。小説だがエッセイのようであり、エッセイの
ようだが小説のようである、それを受容し、楽しめるのが山口
瞳さんの読者、の資格ということだろう。その妙味に慣れない
と到底、山口瞳の読者たり得ない。

 軽妙は事実、実にテーマを取り扱うのが上手い、老練だがそ
それとて一朝一夕ではない。綺麗事では済まない苦渋がそうさ
せたのだろうか。

 ところで山口瞳さんと云えば、実際、処女作の『江分利満氏
の優雅な生活』で、小説と思って読み始めたら、あれ?と当惑
したはずだ。「これってエッセイじゃないか」と思ってそのま
ま本を放り投げる、なんて多かったと思う。その主人公、へん
てこな名前の「ただのそこらの普通の人」という意味が込めら
れた人物、だが戦後日本の曲がり角に経つその時代を鋭く映し
出す、というものでその真意を把握は修練が必要だ。実のとこ
ろ、「エッセイから小説へ」が山口瞳さんの道筋だった。だが
この時期の作品、「居酒屋兆治」もエッセイもそれが逆転して
いるかのようだ。「小説からエッセイ」である。

 でエッセイ集の第17巻目の『木槿の花」は人生、人間のそ
のポイント、要点というのか勘所を捉えようというエッセイだ。
このシリーズエッセイは、徐々にただの普通の人、日常生活者
の冴えた勘ではなく、文学者生活の勘所を描くかのようだ。そ
れだけに一般読者からは率直にうとやや離開した部分があるの
だが、、終わりの11篇が台湾での航空機空中分解事故で死んだ
向田邦子のことばかり語る情景にはやや驚くだろう。それまで
での山口瞳さんの潔さがないのだ、妙に女々しい。それも半端
ない。向田邦子は山口さんの戦友だったと何度も繰り返してい
るのだ。ここにいたって、意外なる山口瞳の本音の部分に突き
あたってしまう。実に人懐っこい、梶山季之との交友を想起さ
せる。非常な照れ性だ。その苛烈極まるエッセイスト精神のも
とは実は弱さを隠す衣装だったと思わせるのだ。

 東京近郊の私鉄駅の近くのもつ焼き屋にたむろす人生模様を
描いた『居酒屋兆治』でも同じことが言えるだろう。しがない
店主の人懐っこさを執拗に描いている。

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