人間、何歳になっても百年の大計が必要、自分探しの旅の根底にあるもの

泣いても笑っても人間すべて、与えられた時間はいたって
短い。生きれば生きるほど時が経つのは早くなる。だから、
ちょっと加齢し、「残り年数」を考えたらちょっとバカバカし
くなるだろう。10年前なんて昨日みたいなもの、それが20年前
でも、でもそれを将来にベクトルを変えれば、さて、である。
これらは陳腐なまでの感慨にせよ、自分自身に特別の長寿どこ
ろか、類まれなほどの持病のあることを考えれば人並み生きる
るのも、・・・・・である。「残り何年」くらいどころか、人
間、今日明日に死ぬ可能性は十分あるのである。誰しもである。
寿命は基本、絶対的制約があって、今日明日にも死ぬ可能性は
人間、常にある、・・・・だからどうだってんの?だろうか。
ただ一つ言えると今思うのは、人間何歳になろうとも、いつ
死ぬともわからない運命の中で生きていくには、「百年の大計」
が必要ということである。人生は個人差がありすぎるものだ。
要領よく、有用な人間として振る舞える人間もいれば、どこでも
誰からも徹底的に疎外されて居場所もない、無用人を極めるよう
な人間もいる。それらはすべて実は表面的な、取るに足らぬ流れ
ゆく事象である。端的に言えば人生は結果ではなく、将来に向け
けての際限もない自分探しの旅でしかないということである。そ
う考えないと生きていけるものではない。
人生百年の体系は若い時期の話に何ら限定されることではない、
明日死ぬ、余命幾ばくもない、という状況でも生きるとなれば、
人生は必ず百年の大計である、・・・・もちろん、目先のことも
十分留意は必要は云うまでもないが、目先のことだけ考える人生
では人生自体に束縛された窮屈、極まるものでしかない。あと、
何年生きられる、は人生の必須のようだが、それだけ云えば幼児
でも、いや誰しも執行猶予の死刑囚のような存在だろう。人生は
幻想の自分探しの旅と考えなければ、一日だって生きることは出
来ない、・・・・・全ては「自分」というものとの探索である。
それが単に世間に有用に生きることを目的としない、内面の旅で
あるからだ。ムダに生き抜くことの意味である。
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