ノーマン・メイラー『鹿の園』新潮社、朝鮮戦争、赤狩り下のハリウッドの性の実態
タイトルの『鹿の園』、元来の意味は18世紀、フランス王の
ルイ15世のために、その公妾のポンパドゥール夫人がヴェルサ
イユの森に開いたという娼館で、こっそり訪れるルイ15世を楽
しませた、という建物、フランス語でparc-aux-cerfs、で、国富
と血税を傾けての館であり、そこでの堕落貴族の淫行、乱行の
限りで、このようなブルボン王朝の腐敗がその後のフランス大
革命を起こす要因とさえなった、ということだ。
『裸者と死者』で著名となったメイラーは1949年、その映画
化のためハリウッドに滞在したが、映画化は挫折した。その翌
年に朝鮮戦争が勃発、アメリカにも赤狩り思想が吹き荒れ、『
裸者と死者』を良からぬ反戦映画とみなす者も現れたからであ
るが、メイラーはハリウッドに滞在することでつぶさに観察で
きた現代の「鹿の園」を作品テーマとして持ち帰ることができ
たのである。
概略はこうなる。
朝鮮戦争当時、空軍将校として日本にいたサージャスという
青年、不断のストレスと緊張でパイロットとして必要な反射神
経を失ってしまい、除隊を命じられる。帰国前、彼は東京のあ
るホテルで14000ドルの大金をポーカーでゲットした。彼はこの
金で南カリフォルニアの映画の都、デザート・ドオにやって来
た。
小説ではこの青年が語り手の一人称小説だが、もう一人、主
人公がいてアイテルという映画監督だ。かっては芸術的良心を
持っていたが、映画会社の商業主義にその才能を潰し、また赤
狩りの破壊活動委員会の圧迫を受けて、今や見る影もない。サー
ジャスはアイテルの前妻のルルという若い女優と恋愛関係とな
って、アイテルは他方、プロデューサーの情婦だったエレナと
結びついてしまう。
実際、長編であり全6部からなり、実質、この二組の性生活
を中心に物語られるが、いっときはエレナとの幸福な同棲生活
から再起のパワーを見出して、「現代の聖人」という映画のシ
ナリオを書こうとしたアイテルだったが、エレナとの性生活が
破綻、再び商業主義に染まって破壊活動委員会に妥協してしま
う。このアイテルとエレナの没落の描写がこの作品の白眉と言
っていいのやらどうか。ルルと分かれたサージャスに「君だけ
は芸術家の誇りを持って君が挑戦の小さなトランペットを吹い
てくれ」で終わる。
正直、妙な無駄な表現がやたら多く、さすがにヨーロッパ文
学のような質の高さを期待すると愕然とするほど無駄に満ちて
いる。フォークナーやミューラーのような深い文学性は持ち得
ていない。考えようによれば、、果てしない無駄な饒舌がかえ
って「鹿の園」の無意味な雰囲気をよく表す、かもしれない。
この記事へのコメント