小学校と中学校、悲しみを秘めて毎日通った通学路、まるで屠殺場に引かれていくようだった

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 生まれ育った町を離れて50年が過ぎている。あの頃、あの
年生まれた赤ん坊はもう50歳が目前だ。胸によぎるのは、毎
日、もちろん休みは別としてだが、通った小学校から中学の
通学路、これは共通だった。高校はやや逆方向だが近かった。
心理的に一番遠かったのは小学校だ、もちろん、はるか遠く
から通学している生徒も少なくなかった。実際、日本全国、
小学校への通学は徒歩が絶対原則で公立は親が送ることも禁
止だから子供たちの小学校への通学は非常な試練である。

 そこで小学校、中学校、通学、行きも帰りも想像を超えるよ
うな悲しみを胸に秘めて、押し込んでの徒歩通学だった。母親
は私の記憶がないほど幼い頃から、殺気を持っていつも襲いか
かってきた。イジメ、虐待という言葉があるが、ちょっとその
ようなりふれた言葉で説明できるものではない。ちょっと悪運
ルーレットで1000回連続最悪が重なったほどの、これは不運と
いうほかなかった。殺気をもって襲いかかるくらいだから、小
学校に通い始めても、まともな配慮など皆無である。衣服から
靴、学校用品、また学校には図画工作の時間など家から持って
くるものを指定される、それらが他の家庭のようにまともに準
備してくれるなど、ということがない。もし云ったとしたら、
「親がこんな苦労しとるのに何をいうんじゃ」とハナから取り
合ってくれない。

 小学校は実は親の徹底したサポート、配慮がないとまともな
学校生活は送ることはできない。家庭に恵まれない子供は実は
小学校は修羅場になりかねないのである。小学校でも子どもは
並の大人以上のツラさを感じて生きているものである。

 家庭環境、両親に恵まれていても学校が苦手、という子供も
少なくない。本当に小学校を筆頭に学校とは限りなく辛い場所
であると思う。私は、まず家庭環境は悪いどころでなく、親は
子供にいかに不安を与えるのがに、次男の私への「脅迫」に全
身前例の有り様だったから、学校で「明日の工作の時間、必要
な~を揃えて持ってきて」と言われても、そもそもそれを親に
言い出すことさえ不可能だった、言ってもロクなことしかやっ
てくれないことは間違いない。実際、言い出したこともあった
が反応の結果はやはり最低最悪だった。

 そんなわけで子供の心ながら、小学校がまず地獄で、通学は
特に登校時はその悲しみ、は言いようもなく、まるで屠殺場に
連れて行かれるような牛馬のような心境だった。全くゼロでも
ないにせよ、基本的に悲しくてやりきれない気持ちで登校した
日などほぼなかったと思う。

 小学6年時は全くの奇蹟の例外年となって私は明るさを取り戻
し、全校の人気者とさえなった。だが中学以降、ひたむきな努力
も心無い両親、中学のわるい生徒に蹂躙されて最後の頃は空前の
超秀才を達成したにもかかわらず、思いもよらぬ大病でそれも空
しく潰えた、あれほどの逆境に打ち勝って到達した校内トップの
成績も、頓挫する羽目になった。

 あの小学、中学への通学路をいま歩んでみようかとも思うが、
つらさに負けてしまいそうで、その気になれない。いつも、つら
さを胸に押し込んでとぼとぼ通学路を歩く自分の姿が蘇ってくる。

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