谷崎松子『倚松庵の夢』1967,あまりに特殊な夫婦関係は結局、幸福だったのか

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 谷崎松子、1903~1991,谷崎潤一郎の三番目の妻で松子は
再婚となる。非常に特殊な夫婦関係である。谷崎潤一郎は非
常にブルジョワ趣味なのだが、谷崎精二を除く弟妹は、弟は
和歌山の旅館の下足番、妹は少女時代、親戚に養子にやられ、
結婚後、ブラジル移住している。晩年の『瘋癲老人日記』異
様な趣味性である谷崎潤一郎だ。

 潤一郎の晩年の随想『雪後庵夜話』というものがある。この
本はその脚注的な意味というのか、文学的な証言となり得るだ
ろう。

 『雪後庵夜話』によれば潤一郎は『盲目物語』、『武州公秘
話』を書く頃において、すdねい「彼女の影響下」にあったと
いう。そのへんの事情を示すものとしているのは昭和7年9月2日
付の潤一郎の手紙である。

 「私には崇拝する高貴な女性がなければ思うように創作がで
きないのでございます」とか

 「実は去年の『盲目物語』なども始終御寮人様のことを念頭に
おき、自分は盲目の按摩のつもりで書きました」

 などは、単なる恋する女性への殺し文句でもない。本書ではじ
めて潤一郎の『盲目物語』から「春琴抄』に至る芸術的境地の発
展がよく分かる。二人の愛情交換を慎ましく語って価値ある文学
史的な証言となっている。

 手紙の最後に

 「もし幸いに私の芸術が後世まで残るものならばそれは御寮人
様というものを伝えるためと思し召して下さいまし、・・・され
ば御寮人様と芸術とが両立しなければ私は喜んで芸術の方を捨て
てしまいます」

 これは歯の浮くような殺し文句である。どこまで信用していい
のかわからないだろう。そのことを、実はこの本は、松子の本は
暗示している。

 『雪後庵夜話』に

 「私たちの気持ちから云えば普通の内縁というのとも違ってい
た。夫婦であって夫婦でないような、互いに一種の隔たりをおい
た特別の間柄」が谷崎夫妻の目指した理想だったという。

 だが、ただの世間並みの世話女房に堕することを極度に恐れて
、松子に妊娠中絶を強いたという事実、こうしたあまりに特殊な
夫婦関係が、しょせんは一人の女性にとって幸福と呼べるとはい
えないだろう。それを無意識にか、押し殺しているところで本書
は成立している。でも、人間的には潤一郎より松子夫人の方が、
役者が一枚上だった気はする。

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