原田康子『挽歌』1956,最果ての釧路が舞台、北国の浪漫の香りの秀作

生涯、北海道を離れることなく創作活動を行った原田康子
さんの最初期の秀作である。松竹で映画化され、ヨーロッパ風
というべきか、北国のロマンの香り漂うこれも秀作となってい
る。主人公役は久我美子でこれは原田康子さんの希望であった
という。ほぼ原作そのままに映画化されいるから、映画だけ見
て満足、でなく原作も読むことはさらに価値がある、のは云う
までもない。映画にはでてこない、細かい多くの設定がわかる。
さいはての街、釧路、戦後にわかに発展した漁港の街、小都
会である。「わたし」が主人公の兵頭怜子は団員30名ほどの地
方劇団みずく座の美術部部員、同じ部員の久田幹夫とは小学校
からの同級生で仄かな恋愛感情があった。家族は母は亡くなっ
ていて53歳になる父親と高校生の弟、信彦と祖母の四人ぐらし。
曾祖父が九州からこの釧路にやってきて、多くの事業に手を
出して成功し、祖父の頃にはこの地に確固たる経済的基盤を築
いていた。だが父親の時代に仕事が傾き、戦後はその財産をほ
ぼ失ったが辛うじて水産工場を経営している。
「わたし」兵頭怜子は終戦の翌々年、1947年、数えで15歳で
関節結核に冒され、左腕の肘が動かなくなった。母もおらず、
そのような不自由な体となった娘に父親はしきりと縁談を勧め
た。怜子はそんな縁談は相手にせず、父親をからかって再婚を
勧める。水産業の事務所の前の洋裁店アイリスの女性主人が父
を憎からずと思っていることを知っていたからである。
ところが、怜子は偶然に知り合った建築家の桂木という37歳
くらいの男性が父の会社の事務所と同じビルに事務所を持って
いることを知った。(文学作品で建築家という職業は非常に人気
である!)桂木を訪ねていくうちに怜子は桂木に惹かれていった。
ある夜、彼の誘いのまま、遠く阿寒湖畔のホテルまで車で行き、
同室で宿泊した。
みみずく座の仲間たちは、いうならば蜃気楼のような幻想に
夢中となっているわけで、また父親は無能な経営者でしかない。
桂木のような男にであったのは怜子にとって初めての経験だっ
た。決して怜子を子供あつかいしなかった。何か甘えたいよう
な魅力を感じた。
また桂木と親しくなる以前にその夫人と怜子を知っていた。
その秘密まで知っていたのである。桂木夫人は怜子の間接的な
友人の古瀬達巳という東京の大学を休学中の青年といい仲にな
っているという秘密までもである。怜子は桂木のCocu(妻を寝取
られた男)の魅力にも惹かれた、その傷に触ってみたいという欲
望にもかられた。
だが桂木を好きになっても、なお桂木夫人に好感を抱いてい
た。憎もうとしても嫉妬しようとしても、桂木夫人は怜子の心
をとらえていた。桂木もその夫人も愛していたのだ。若い無邪
気な怜子を可愛がることは夫人の慰めであった。だが怜子が桂
木の愛人であることを知ってそのショックで夫人は自殺してし
まう。
怜子は桂木が事務所にいるうちに、留守宅に入って掃除をし
たり、犬の世話をしたり、だが桂木の帰宅前に帰っていた。桂
木は自分が帰宅してもいてほしい、と怜子に望む置き手紙を書
いていたが、怜子は頑なに帰ってしまう。だがみみずく座の仲
間たちと人形芝居の公演旅行で、阿寒湖付近の村に行くことに
なった。だが怜子が自分だけ、公演終了後、桂木と初めてきた
ホテルに一泊することにした。ホテル建築の設計を行った桂木
がきた経験があったからだ、桂木も今夜このホテルに泊まる、
と知っていたからだ。
で思わせぶりに終わる。完全な女性小説であり、不倫、よろ
めきの内容で通俗小説として評価しない向きもあるが、なによ
り舞台がいい。これは東京で同じことをやって展開しても、お
よそ下らない小説になっただろう。原田康子は何よりも北海道
の匂いが常に漂う作家だった、あわただしくすぎさる少女時代、
本人が気づく頃には、一人の女性になっている、という時期の
女性主人公の心理と生理のこまかた綾を、女性作家らしく、本
当に精緻に綿密に、着実に描ききっているのは、そこらの少女
小説とは格が違うというほかない。感傷にも流されず、高飛車
にもならず、一人の少女の体験を素直にたゆまず追求している。
不倫少女小説ではないか、と評価されそうだが確固たる信念を
もって見事に作品化している。
この作品はベストセラーになった、北海道の同人雑誌に連載
し、全国区になった。原田康子のその後の活躍を見たら、すぐ
れた資質をこの作品に見いだせる秀作という評価は正しかった
わけである。
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