アグネス・チャンさんライブへ私の長い道


 私は長くアグネス・チャンさんのファンクラブに入ってい
るが、その公演、ライブを地方居住とあっていままで見たこ
とはなかった。もう年齢的に大規模なステージで公演はなさっ
っていない、と思える。定期的に東京でファンクラブ会員限定
でのライブをなさっている。今年は3月に新宿ケントスで、そ
の第二弾が今度8月に行われる、二部制、それぞ1時間である。
ライブと思えばやや短いが、やはりご負担を考えればそれくら
い、ということだろう。新宿ケントスだから一般客、が当日に
、は指定席だから無理だろう。やはりファンクラブ会員限定で
ある。

 私にとってアイドルと言えばアグネス・チャンさんは特別な
意味を持っている。病気休学の冴えない傷心の高校生活、当時
は1970年代後半、今と違ってグループではなく個人の女性アイ
ドルの繚乱だった。その中のアグネス・チャンさんだったが、
香港のご出身、イギリス国籍、その天真爛漫で秘めたインテリ
ジェンスの資質は、あの頃の「中国人」のイメージとかけ離れ
ていた。その資質はその後徐々に明らかになる。

 とにがく本来の同期に遅れた高校生活は悲惨、悲嘆であった。
中3末期、高校入試の頃の全盛の学力は消え失せ、下級の生徒
たちの後塵を拝する悲しみ、やる気は失われた。成績は悪かっ
他、・・・・・悲劇の高校生活、本来の同期は大学に入学の年、
私と入試トップを争った女子生徒は京大医学部に現役合格して
いたが、私はすっかりうらぶれていた。そこに出てきたアグネ
ス・チャンさんだった、「ひなげしの歌」まさに善意のかたま
り、という人間性を感じさせる明るさ、、私は即座に魅せられ
た。彼女は大学進学はしていなかったが、すでに生まれついた
、というのか垢抜けた知性を感じさせた。

 高校生活は徐々に失地を挽回したが、二年で好調も三年で
失速した。やはり本来の同期との入学で1年から全科目、みっ
ちり基礎がら勉強しておかないといけないが、結果として一年
での不勉強のつけが3年で噴出、悲惨な成績の連発となった。
大学受験は当然、現役ではさっぱりだったが現役でもすでに
遅れていたのである。高校入試は病院から、二番だった。恢復
し、登校を待つばかりなのに悪徳病院に母親!がつるんでし
まった。長期入院が百害あって一利なし、の疾患でだらだら
入院、無用な大量注射が繰り返され、致命的な悪化を招いた
。すんなり退院をせず、この年齢の休学はまた人生の致命傷
ともなった。

 大学受験後、両親は何と夜逃げをしでかしていた。夜逃げさ
えも私のせいにするような卑劣な親だった。本当に苦難の時代
は続く中でのアグネス・チャンさんのヒット連発だったが、と
ころがだんだん彼女の内部で瓦解するものがあったのだろうか。
1978年ころか、私はまだ大学生だった、ニッポン放送のオール
ナイトニッポン、あの深夜放送の超定番だが、ゲストパーソナ
リティを務めたアグネス・チャンさん、私はそのあまりに思い
つめたような口調、内容に驚いた。その時点までは何も引退と
か何かは告げられていなかったが,「これはなにか起こる」と
直感した。「ジーザス・クライスト」を連発されていたように
思う。その数日くらいで彼女は記者会見、引退を口にし、泣き
出した。

 やはり若くして来日、ひたすらアイドル歌手の道、それに
何か疑問も感じられたのだろうか、うちなるインテリジェンス
の発露は必須であり、その後、カナダ留学された。これで事実
上の引退かとも主荒れたが、ファンクラブは存続した。

 その後、カナダの大学を卒業され、再び日本へ、活動再開だ
が従来の単なるアイドル路線から脱皮した真のアグネス・チャ
ンさんへの成長した姿である。

 でも彼女、日本に戻られたら、平尾昌晃さんが若い女の子
とデュエットしているのでおどろかれたそう。カナダからの
手紙、余談だがこのヒットでカナダ大使館に招待された平尾
正晃、畑中葉子のお二人、大使夫妻を前に歌唱、大使さんは
「畑中葉子ちゃんはとてもチャーミング」

 ユニセフ親善大使などヒューマニズムに基づく社会的活動、
ご結婚され、三人のお子様、全員がスタンフォード大学卒とい
うくらいで彼女のインテリジェンスの体質は確実に受け継がれ
ている。

 そのヒューマニズムのスタンスは、ヒューマニズムの嫌いな
日本のネトウヨから攻撃の対象である。だがこれは日本のネト
ウヨが間違っている。だから彼女の心温かいヒューマニズムの
生き方に賛同せざるを得ない。

 ともあれ、やっと、うまく行けばの話だが、実際に彼女を近
くから見ることが出来る。ここまでの道は本当に長かった。蛇
蝎のように嫌ったものもこの世から消え去った。


  これは今年、2024年3月のライブ

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この記事へのコメント

killy
2024年06月03日 14:54
20年前、矢掛町文化協会が講演依頼した時は講演料120万円でした。
これに新幹線グリーン・マネージャー分とタクシー代、飲食代が必要でした。
ヒット曲は歌わずに、講演の途中で自作の曲や台湾民謡を歌われました。