山本健吉『十二の肖像画』1963(講談社、福武文庫)自宅を訪問しての探訪記事的な作家論
刊行は1963年、昭和38年の初頭、その前年、一年間にわたっ
て雑誌『群像』に12回連載した「十二の肖像画」はそのまま本
のタイトルにもなった。雑誌での発表順と同じ順序で十二名の
作家論が収録されている。最初は本は講談社から刊行され、そ
の後、福武書店から刊行された。
十二人とは室生犀星、正宗白鳥、三島由紀夫、伊藤整、高見
順、武田泰淳、中野重治、井上靖、舟橋聖一、上林暁、丹羽文
雄、佐藤春夫である。個別にその作家の自宅に訪問し、雑談と
か文学論をたたかわしたりで話に引っ張り込み、いつしか作家
論となってその作家の代表作を論じるという、そこは練達の文
章ということである。その昔、大正時代に探訪記事という文芸
雑誌の読み物記事のジャンルがあった。例えば近松秋江なども
得意としていたそうだが、そのジャンルを高級にしたようなも
のである。
作家の居住の住まい、生活のありようは何らかの意味でその
作品に密接な関わりを持つことがある。舞台とその楽屋ともい
える。その意味で三島由紀夫のあのロココ風の邸宅を訪問し、
住居と文学を結びつけ、三島の大理石のように冷たい美辞麗句
主義を論理づけた文章、また舟橋聖一の生活のありかたとその
作品との関わりを分析し、贅沢がモラルとなっていく過程を論
じた文章も納得させる内容である。
伊藤整の自宅を訪問した際に散々にブロック建築の長所短所
を聞かされ、その書斎の機能的乱雑さを眺めて報告しているだ
けではない、正宗白鳥の広い庭で餌をついばむ鶏を眺めながら、
この家の主人は毎日、新鮮な卵を食べているのだろうか、など
と思いながら、いつしかい『何処へ』への主人公の前に読者を
引き入れる。明治の余計者の系譜についても論じている。それ
が「純文学変質論」につなげるのだ。
中野重治の『村の家』について考えながら、転向の問題につ
いて。「身近の仕事仲間や家族たちや、それら目に見え、手に
ふれる範囲だけにしか責任を感じない」と感覚主義を鋭く問い、
民衆への責任の問題が脱落していることを指摘している。昭和
10年代への新しい問題提起だろう。
また1929年、昭和4年の「改造」懸賞評論で第一席に宮本
顕治の「敗北の文学」が小林秀雄の「様々なる衣裳」に競り勝
ったという耳珠は本で初めてわかったことである。
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