街から路線バスがほぼ消えた。バス運転士は逮捕予備軍、よく今まで続いたものと思うが、もう無理

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 日本の戦後の街の光景、商店街の時代だった、その道や空き
地では子供たちがいっぱい集まって遊んでいた、またひっりな
しに路線バスが街なかを走っていた。・・・・・・それらは、
ほぼ消えてしまった。その中で比較的、残っていたのは路線バ
スだったが、それもほんのこの数年、もっと前からも知れない
がほとんど見なくなった。もちろんちょっと都会?その駅前に
行けばバスがどんどん入っているのかもしれないが、現実、よ
く継続していた、続いていたのが不思議な状態だったのだが、
それが遂に最終局面となってきている。バス運転士の不足と云う
ことだ。なぜ?戦後、バス運転士というあまりにリスクが多く、
プレッシャばかり、仕事自体が多くの要素で至難、基本的に安月
給の仕事につく人が供給されていたのかと言えば、私は終戦後か
らつづいた日本の貧困、仕事不足、また戦争体験の悲惨さが実は
困難な仕事を下支えもしていたと思う。日本は圧倒的に若い国で
あり、バス運転士志望者も不足はしなかった。リスクが非常に
高く、気苦労ばかり、拘束時間は長くても労働時間とカウントさ
れない「中休み」が長く、実質、低給与、無論、公営バスなら待
遇は恵まれているが全体として公営バスは一部である。その公営
バス運転士も仕事自体の困難さ、リスクの高さは民間バスの運転
士と変わる点はない。

 とにかくバス運転士の過酷さは聞けば聞くほど戦慄ものであ
る。「若い人をバス運転士に」とメディアが軽率に書くが、い
うならば不遇な逮捕予備軍である。

 正直、今までよくバス事業、特に路線バス事業が続けてこられ
たと思う。民間バス事業は、ただ乗客の払うあの安いバス運賃だ
けが原資である。自治体からの補助もさしたるものではない。
公共交通だから自治体がバックにある、は蜜よりも甘い。不採算
が続けばいつでもバス事業は廃業となる、その例も珍しくない。

 かっては働く人が多く、さらに戦後の団塊の世代、人は多くて
も仕事の少ない時代、それがリスクのみ高く労働条件は厳しく不
遇、低給与、クレーマーはやたら多い。タクシーはどんな客が乗
るかわからないから怖い、難しいと云うが、バスに比べたら遥か
にマシだろう。だが長く、そんな厄災の塊のようなバス運転士を
こなす武闘派運転士がかなりいたのである、がそんな運転士も高
齢化、どんどんやめていく。そもそもバス運転士になってもすぎぐ
退職がずっと普通だった。

 路線バスが主に走る通勤、通学時間帯、その道路交通条件の中
で時間に合わせて安全に走るのは至難だろう。豪雨の日、悪天候
の日は多い。バス乗り場に停まるタクシーもいる、一般車からの
イヤがらせはあたりまえ、大きなボディ、視界は効きにくいバス
は事故を起こしやすい、自転車が特に要注意で人身事故を起こせ
ば即逮捕、実名で報道されて逮捕され、刑事裁判へ、よほど注意
しないと逮捕の道である。免許は取り消し、路頭に迷う。これは
好待遇の公営バスでもおなじことだ。

 とまあ、それでもバス運転士がなんとか破綻的に不足しなかっ
たのは戦後、長く続いた日本人のハングリー体験である。だが、
それも尽きてしまった。もう、よほどの物好きでない限り、バス
運転士などやらないだろう。平均年収は400万円前後、手取りで
はないから貧困階層である。

 かくして最も身近で必要な公共交通の路線バスは実質、消滅に
向かっている。運転免許はメディア、警察が返納を咆哮しても、
石に齧りついても保持しなければならない。よほどの都会でない
かぎり、車なしで生きてはいけないのである。

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