現在の新宿二丁目は明治中期から大正初期まで芥川龍之介の父親が経営の牧場だった
現在の新宿二丁目はLGBTQの人たちが集まて楽しむ場所だが、
古くは芥川龍之介の実父が所有経営していた牧場があった場所
である。これを知ったは私も最近のことである。
芥川龍之介は元来、新原姓であるが生母が発狂したため生母
の実兄、芥川家に養子にやられた。芥川家は江戸の旧家であっ
た。
龍之介の実父、新原敏三は山口県玖珂郡賀美畑村生見の出身
である。現在は美和町となっているが、山口県の辺境である。
新岩国駅よりさらに北西に20kmほどの交通不便な場所である。
その地の真教寺が新原家の菩提寺で、1988年に龍之介の三男
也寸志と長男の比呂志の妻の手で境内に記念碑が建てられた、
という。新原敏三の生家は代々庄屋を務めた由緒ある家柄であ
ったという。新原敏三については芥川研究の周辺部門として実
に熱心に研究されている。桜楓社の「芥川龍之介の父」1974,
など単行本化されてもいる。
それらの研究によると新原敏三は1850年、嘉永三年、9月6日
の生まれ、幕末の風雲急を告げる時代、しかも長州藩である。
12歳の頃、村の若者と喧嘩し、それがもとで家出をし、農兵隊
に入ったという。16歳の時、1866年、大林源治の名前で長州藩
御楯隊に入り、幕府軍と闘う。安芸の大野の戦いで重傷をって
いる。
新原敏三は長州藩内のクーデターでもある脱隊事件にも関与
、維新後は山口、萩で生活し、その後、大阪造幣局勤務、1875
年に上京、翌年6月、勧農局三里塚牧場の解説と同時に雇われて
いり。
1879年、渋沢栄一らが始めた箱根仙石原の耕牧舎で働くよう
になった。
文明開化期の1883年、新原敏三は当時、外人居留地の一角の
京橋区入舟町に本店を置く牛乳屋、耕牧舎の支配人となって、
その経営に乗り出した。龍之介が生まれた当時は、支店を中根
岸、芝、四谷とおいて経営は順調だった。だが妻の「ふく」が
発狂した。
1893年には本店を芝新銭座町に移転し、その上、内藤新宿二
丁目の八千坪の広大な牧場を7年の年賦で渋沢栄一から譲り受け
、事業者として大成していった。
芥川には長州藩の血も流れていたのである。
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