北杜夫『楡家の人びと』1964,実際の青山脳病院、三代の生活史、だが徹底ディフォルメの実験的作品か、だが平板すぎる

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 小学生時代、6年の時くらいかなと思っていたが、やはりそ
の通りでTBSで1965年9月初旬から10月いっぱいほぼ二ヶ月に
わたって連続ドラマとして放送された「楡家の人びと」記憶に
あったのはそちらの方、原作は雑誌「新潮」に1962年から64年
まで長期連載された。北杜夫は斎藤茂吉の息子と思われたくな
く、あえて斎藤でなく北杜夫とペンネームを、最初の『幽霊』
からその筆致はどこか良家の子弟を感じさせるものだ。それは
一貫していると思う。

 さて、この北杜夫の中でも著名な作品だが、『楡家の人びと』
は斎藤茂吉といえば青山脳病院の創設、その発展,、興隆、変転、
栄枯盛衰の歴史が素材とされている。北杜夫は松本高校から東北
大学医学に入学、精神科を専攻したから精神科医の活動やその病
院の経営方法など、見て聞いて学んだ広い知識でそれらを語り、
作品のおもしろさの一端となっているのは事実だ。だが、北杜夫
はそれらを大幅にディフォルメしていて、独自の小説世界を構築
し、思うままに登場人物を活動させている。

 没落しかかった庄屋の四男がら独力でのし上がって大規模な
楡脳病院の院長となり、大正七年に盛大な十五周年式典を行う場
面から始まって、この世俗的なエネルギーに満ちたこの成り上が
り者の非常に個性的な活動と没落、やがて彼の子供たちとその家
族との、徐々に衰退していき、紛糾する時期、そして孫たちも巻
き込む戦争とそれによる楡家の解体、・・・・・という三代にわ
たる経過、歴史がそれぞれの時代の子供の遊び方、町の佇まいの
様子、昔懐かしい場面をも描きつつ、申し分なく書き込まれ、そ
こにユーモアとペーソスの、にじみ出るような哀切な思い、それ
らが悠々とくる広げられる。

 せかせかしていない、よくいわれるトーマス・マン『ブッデン
ブローク家』とか19世紀のイギリスのリアリズム小説を思い起こ
させる。

 なにか規格外的な行動力をもった家父長を中心として、さまざ
まな人物、個性と世代が織りなす人間関係を、落ち着いた気品あ
る穏やかな愛情と批判で詳細な観察で描き出したこの作品は、確
かにしんみりした感動を与える。

 で、あの三島由紀夫がこの作品を偉く高く評価しているのは、
知る人ぞ知るだが最初の単行本ではその外函に三島由紀夫の「
推薦文が印刷されており「不健全な観念性を見事に脱却してい
る」という、いかにも三島らしい気障な気取った美辞麗句的な
「推薦文」だが、これは贔屓の引き倒しというものである。
まず作者、北杜夫の観念的な側面の追求の不足というのか、思想
性の希薄さ、構成を担保する作者の観念性の不足というのか、ど
うか。端的に云えばあまりに平板的すぎるのである。逆にいえば、
親しみやすさ、品の良さもに通じるので「時の流れ」への感慨も
ごく平凡なものだ。

北杜夫さんはいろんなタイプの作品がある、「どくとるマンボウ」
シリーズ、また「夜と霧の隅で」というホロコーストを扱う異質
な作品もあるし、「しろきたおやかな嶺」のような山岳小説、その
流れでいえば北杜夫さんの実験小説的な意味合いがあるだろう。

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