ロマン・ロラン『日本人への手紙』(全集収録など)権力の検閲を絶対拒否の闘うロマン・ロラン
ロマン・ロランが1944年12月30日、第二次大戦終結を前に
ブルゴーニュの自宅で妻と妹に見守られてこの世を去った。
それから80年が過ぎた。あの年に生まれた赤ん坊も今年は80
歳なのである。戦後、「ロマン・ロラン友の会」がパリに、
また東京にも設立された。それを中心に「ロマン・ロラン全
集」が翻訳、刊行され続けた。端的に云えば古来、ロマン・
ロランは日本人から見てもヒューマニズムに富むケチのつけ
ようがない文学者、というわけだった。その中心的作品は、
言うまでもなく「ジャン・クリストフ」だがフランス人にす
ればその文章はどうにも鼻につく、というのも事実らしい。
ともかく日本人には愛読されるロマン・ロランなのだが、ど
うも日本人のロマン・ロラン観の歪みを露呈しているとも言え
るのではないか。あまりに甘すぎるロマン・ロラン観である。
つまり日本人の普通の知識、感性がそうさせるのだろうが、「
ジャン・クリストフ」のロランがリツケやカロッサと同じよう
な純粋な芸術家としての性格がクローズアップされすぎている。
だがそういう日本人が持つロマン・ロラン観とは別のロマン
・ロランが間違いなく存在している。例えばモーリス・デコー
トによるロマン・ロランの評伝が参考になると思う。それによ
ると第一大戦前後のロランは戦争反対の、人類と正義のために
闘うという西欧知識人の姿を明確にしている。なぜロランが、
あの社会と人間と革命を生涯夢見たカトリックの詩人ペギイの
理解者であった、こと。なぜ民衆劇を書いたのか、また非暴力
抵抗運動のインドのガンジーにかくも心酔していたのか、それ
をデコートは説明している。
ロランの個人的なヒューマニズムに基づく善意、それで一体
、深刻な時代に意味があるのか、ということだ。ロランは西欧
の物質的文明の危機を救えるものとして東洋的な精神文明を考
えた。インドの「ラーマクリシュナ」などを書きもした、倉田
百三の「出家とその弟子」のフランス語訳に尽力したり、その
東洋への愛情が「日本人への手紙」に見事に表現されている。
日本人でフランス文学通、片山敏彦のようにロランから手紙を
もらった人たちが「ロマン・ロラン友の会」の日本支部を創設
したのだが、ロランへの日本人の一面的理解を是正できたのか
どうか、である。単に「ジャン・クリストフ」だけでなく「闘
争の十五年」を書いたロランなのである。
日本人に送られた手紙の中の一通には闘うロランが如実に
現れている。
「私の『先駆者』の日本語訳を権力が検閲するなら、ある部
分の削除は可能か?とのご質問ですが、私は次のように答えま
す。
権力によって口を封じられることほど人間として不名誉なも
のはありません。私は断固として一部分でも削除は拒否いたし
ます。それ以外、どのような回答があるでしょうか」
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