始末をする、を節約するの意味で使うのは関西では普通、一種の婉曲表現
節約という意味で「始末をする」という言葉の使い方、だが
基本は関西が中心でその伝播で岡山県など関西に近い西日本地
域で普通に使っていた、子供時代からずっと聞き慣れている言
葉の使い方である。つまり、一種の婉曲的は、そのものズバリ
、節約する、というのもどこか、はしたない、だが節約という
表現は日常で重要である、そこから編み出された言葉の使い方
が「始末をする」というものである。
東日本ではほぼ使われない言葉の用法のようだ。すぐれて関
西的な表現方法であり、実に一般によく使われていた。私の「
母親」ですら日常的に使っていたくらいだ。だがら「ヤフー知
恵袋」では「聞いたことがない」という「回答」ばかりだが、
これは親や親族の年代差、ということだろう。ただ節約という
意味で「始末する」は、いうならば京阪神の精神的土壌に根ざし
たものだと思う。山崎豊子の「花暖簾」的な、船場の世界、「
細雪」の大阪、阪神間、京都のあの「おっちら」した世界の、
しかも主として家庭内で使われる用法である。京阪神だからと
行って、学校や会社、商店で使われる言葉遣いではない。どこ
までも家庭内で使う、婉曲的な表現、露骨に「節約」などと云
いたくない、そこから生まれたのが「始末をする」である。歴
史的にはいつ頃から、かと思ってしまうが、また時代の趨勢で
関西でも若い世代はもうほとんど使わなくなっていると思う。
だから遠からず、廃用という表現になると思うが、関西の、い
かにも関西的な奥ゆかしい婉曲的な表現だと思う。若い世代が
ほとんど使わなくなっている。惜しい気はする。
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