警察庁の運転免許への優生思想導入、大願成就を支えた「認知症」病名創設と日本人に根付く優生差別思想
警察庁は長年の念願、もう数十年どころではないが、精神病
患者を自動車運転から排除することに腐心してきた。それは明
確に道交法に極めて差別的な排除規定が長年、存在していたが、
障害者差別との批判に応える形で、その本音はさておき、差別
的な規定は削除された、・・・・・と思いきや、今度は高齢化
社会を「認知症」なる精神疾患「新病名」、この病名は曖昧で
講義なもので行政には本当に使い勝手がいい、ものだったよう
で、「認知症」をフルに活用という策に打って出た。その地な
らしとしての「オートマ免許」の新設、そこからメディアと一
身体の「ペダル踏み間違い」キャンペーンの嵐、遂に高齢と
認知症をガチガチに結びつける形で高齢者講習において認知症
検査導入、精神病、あまりに使い勝手のい新病名の警察には
あまりに好都合な新病名のお蔭であるし、さらに高齢者排除と
いうコンセプトも明確にした。まさに警察庁の一挙両得という
しかないが、ここで考えるべきは、・・・・・
日本人に強固に根付く優生思想、優生的差別があればこそ、
警察庁の策略が完全に成功したのである。もし日本人、日本の
メディアに優生思想への反発があれば、警察庁の方針に即座に
メディアが批判の火の手を上げるはずだろうが、現実は警察庁、
行政と一体の優生思想、優生差別の権化ということが改めて証
明されたというほかない。わたしもこの70年!にわたる日本の
メディア、代表的メディアの論調を検討したが、例えば松村某
というかなり勇名を馳せた「医学博士」も朝日上で「なぜ精神
病者を運転免許から排除できないのか」と堂々と述べている、そ
れを差別的という意識もないようだ。だがそれは日本人、日本の
メディアがいかに優生差別思想に染まっているかを表すものでし
かない。こんな定義も曖昧糢糊の精神疾患病名の検査を強制し、
それで重大な権利の制限、剥奪など許されない、という民主国
なら当然噴出すべき批判が事実上、皆無なのである。
警察庁のキャンペーンにメディアは反発批判は皆無で「そうだ、
高齢者から免許を取り上げろ」と大合唱なのである。これが民族
の性格というものかと慨嘆得ざるを得ない。警察庁のプロパガン
ダに完全呼応、曖昧で意味をなさない「認知症」検査導入に全く
批判はない、それどころか大賛成、老若男女そろってである。「
認知症」なる、定義不可能で広く網をかぶせられる精神病名、ま
さに国の要請で精神医学会が創設、と言って皮肉でなく遠からず
であろう。しかし、国民に精神病名信仰があればこそである。
これを民族の本質というべきなのだろうか。
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