田村泰次郎『女拓』(1964)作者に女性遍歴を与えた軍隊経験、心に染み入る女性を思いやる心
田村泰次郎は1911年、現在の四日市市の生まれ、早稲田大学
卒(1934年)小説家を目指す、『選手』で文壇デビュー、1940年
に応召、終戦まで中国大陸を転戦、復員後『肉体の悪魔』、『
肉体の門』『春婦伝』などに肉体的女性をテーマにヒットを連
発、1953年、日本文藝家協会理事、しかし1967年、脳梗塞でそ
れ以降、執筆はなされなくなった。力士を彷彿とさせる半あん
この体つき、容姿が大きな特徴である。中国大陸での体験は、
戦後、小説のテーマを田村泰次郎の提供することになった。女
性の肉体である。
なぜか女性に大いに持てた、肥満の男性は女性にもてやすい、
という傾向があるともいうのだが、ちょっと釈然としない。だ
が、女性にもてたゆえに、その数多くの体験から小説を書くこ
とが出来た。しかし「女拓」なる言葉は「魚拓」の連想で、自
分の女性体験を誇示するかのようだ。「女拓」に描かれる女性
たちは全て作者の心と体に深い印象を残して去った過去の存在
である。読んでいくと「女拓」という不遜な言葉とは裏腹の、
作者を通り過ぎた女性の哀れさ、愛おしさがにじみ出てくるの
である。描かれるのは12人の女性、皆、実に真摯で悲しいので
ある。従軍をきかっけに多くの女性遍歴を重ねた作者に不真面
目な放蕩の気配はおよそ感じられないのだ。
かくも作者、田村泰次郎に女性遍歴をさせたきかっけは中国
大陸での従軍、転戦の軍隊体験である。
第一図「アリランの女」にあるように、「突撃一番」と勇ま
しく印字されている紙袋の中のコンドームを手渡され、作者は
「自分はただいまより、外出させていただきます」と仰々しく
上官に挨拶し、「元気でいっちょうやってこい」と激励される。
中国戦線への従軍は好む、好まずにかかわらず、強制的に娼
婦に向かわされたのである。そんな軍隊生活がまだ未成年の兵
士でもそれが常識であった。すさまじい惨酷な時代に生きるし
かなかった青年にとって、女体遍歴は強制された快楽というこ
とでなんの罪悪感もなかったし、逆に言うなら真の愛情が罪悪
感を伴った。この作品『女拓』は作者が放り込まれた中国戦線
という戦争という怪物が若者の青春を荒廃させ、同時にそこに
見出した女性の真実ということである。
中国戦線で強制された娼婦との関係だったが、その女たちは
実は何ら特異な女性ではなく、戦後のありふれた女性と同じよ
うに、細やかな情感を持っていたのである。ここでいう娼婦と
は日本での従軍時代の日本人娼婦も含んでいる。なんら専門的
娼婦ではなかったという。その心情の哀切さは比類なかったと
いう。
あまり女性はこの作品は読まない、まず読まないだろうが、こ
れを読んだら作者の意外な異常なモテ男ぶりが気に障ると思う。
つい「あのデブが」と思いがちだが、この従軍での女体遍歴こそ
が戦後の田村泰次郎の女性の不思議さを抉る「肉体の門」、『肉
体の悪魔』などを生んだのだろうが、戦後の女、外国の女、その
レパートリーの広さはこれだけ女性を愛する、思いやる深い愛情
が持てる崇高な徳というべきだろう。まことに心にしみる女体遍
歴の作品であり、梶山季之のエロ小説nとうてい及ぶ世界ではな
いのである。
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