フリーで生きた人生は私にはあまりに上等すぎる、別に自分を偽った生き方をする必要はサラサラない
結局、私という人間、基本的生涯、フリーで生きたような
ものだ。それにまつわる諸事情を今までは妙に悲歎したこと
が多かったが、今になってみて、私にとってフリーであり続
けたことは、全くの上等としか言いようがない。何の無念で
もないどころか、これしか生きようはなく、それはこの上も
ない幸いだった、と今になって分かってきた。
つまるところ、我が身は有能ではない、人様から高評価な
ど得られない、生きるのが下手、要領が悪い、というなら、
何も好き好んで民間企業でも公務員でも宮仕えなど愚の骨頂
というものだ。ともかく私は正規の所属は持たなかった、そ
れは恥ずべきこと?では全然ないわけである。たとえの話だが
夏目漱石の子孫、森鴎外の子孫を考えてみれば、女性はどうか
しらないが、男性ははみ出し人間が多い。通常のスーツで出勤
という人間はいない、金が有り余って、ではない。そういう性
分なのだ。漱石のお孫さん、漱石の長男の純一さん、のその長
男だが、漱石の孫でも慶応幼稚舎に振られる、小学校は通常の
公立、中学から青学系、大学は青学の文学部へ、卒後、エルム
社という小さな出版社、社長が漱石の孫に惚れ込んで入れてく
るが間もなく倒産、以後、就職など一切考えず、フリーのイラ
ストレーター、どこかに所属しようとせず悠々と生きた、、さ
すがに後年、漱石の孫というものが生きて学習院大研究科教授
など、また京都大教授!にも、ただ漱石の著作権切れで漱石関
連の収入はまったくない。
別に漱石のお孫、房之介さんのケースはあくまで一つの例以
上のものではない、要は人生で何もどこか所属する必要はない、
フリーで生きることは、一つの堂々たる正道ということである。
生きることはまず、他人に無用、自分に有用という真実を悟る
か悟らないか、その違いは大きい。一度の人生、これはいかに
強調しても強調しきれない、その短い人生でフリーで自分の求
めるものを追求して生きるか生きないか、はあまりに重要とい
うものだ。無論、要領よく有能に生きられるひとならそれでい
い。しかし、そういう生き方に向かない人間が無理に宮仕えを
求めたり、人に好かれようと思ってあくせく自らを偽ることく
らい、愚かなことはない、ということである。
かくして、今はなんとか、所属はあると云えばあるにせよ、
人生の長い時間はフリーに徹した。学生時代が長かった、人生
で最もムダ、無意味だったのは就職活動である。
フリーで生きたからボーナスとも無縁、年金も、だが今とな
れば富裕には縁はなくとも、まずはさして気苦労なくいきてい
ける。腐った悪辣な上司の目顔に汲々とするような宮仕えなど
最初からその中に入らない、ことが重要である。
なーんだ、そうだったのか、別に悲観、悲等必要はなかったと
、おそまきながら分かったのである。ありきたりの通俗の常識的
な思い込みが誤っているのである。
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