「死んで生きよ」の人生哲学、高木彬光『白昼の死角』での金融王・金森光蔵の言葉「私だって何度も死んだ人間だよ」

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 「死んで生きよ」とは、時に聞く言葉ではある。では、どこ
かの哲学に、文学に問われたら、意外に見つからないものであ
るが、私は高木彬光氏の傑作『白昼の死角』の中の一場面で出
てきた「死んで生きよ」という言葉が最も印象に残る。この作
品は終戦後、実在した「光クラブ」をモデルにした「太陽クラ
ブ」、実在の山崎晃嗣はここで隅田光一、そこに出入りの主人
公となる鶴岡七郎など、隅田は警察に逮捕された、経営に窮し
た鶴岡七郎と同僚の九鬼は当時の金融王、金森光蔵を訪問する
、本音は金策だったが、それは百戦錬磨の光蔵に見抜かれる」

 このシーンは実は『白昼の死角』の最も感銘深い部分であり、
私も時々、現在は電子書籍で読み直す。作品の最後、鶴岡七郎
から「作者」への手紙、「あとがき」に対応の部分だが「そこ
でも金森光蔵氏の言葉を胸に秘めて」とあるほどだ。

 ところが、1978年頃の公開だったか、映画「白昼の死角」
は原作を蹂躙したひどいもので、七郎と金森光蔵との面会
の場面も散々、何から何まで最悪の映画だった。よくぞ、ま
だ存命だった高木彬光氏が激怒せず、認めたものだと思う。

 映画はともかく、原作での鶴岡七郎らと金森光蔵の会話は
、私にとっても何度読んでも胸に響くのである。

 七郎らは最初、光蔵を訪問、追い返されたが再び引き返し、
光蔵に訴える。そうしたら金策という本音をズバリ指摘され
る。

 七郎「あなたというお方の人間に惚れ込んだ、好きと嫌い
はどれほど違う、命をただやるほど違う、と歌の文句にも
あるくらいですから」

 光蔵「そんなに質問をはぐらかすでない、実のところ、君
たちは二進も三進もいかないんだろう。話を聞くは口実で、た
だ金を借りたい、だけだろう」

 七郎「実はそのとおりです」

 光蔵「そういうが、うちも新しく人を雇うような余裕はない。
今ここにいる連中をどうして飯を食わせるかで手一杯だ」

 七郎「なら何ヶ月でもタダ働きで結構です」

 光蔵「バカ者!わしが正当な労働への当然の報酬も払わない
 人間などと思っているの」

 ・・・・

 光蔵「君が歌の文句を引用なら私も諺で答えよう。世の中に
 タダほど高いものはない」

 ・・・・・

 光蔵「私は君たちの話を聞いてその前途に大きな不安を持った
よ。物価統制令違反の件は確かに同病相憐れむが、大衆のカネを
月二割という条件で集めて、それ以上の利潤を上げようなど、てん
で無茶な話だ。その条件を十分の一に切り下げても到底無理だろう。
君たちはそこらに矛盾は感じないのかね」

 ・・・・・

 光蔵「投資家の立場に立って考えてみたまえ、月二割の利子で
年に二十四割、元金は三倍半だ、そんなうまい話を、手ぶらで君
たちに代行してもらおうなんて思うのが、大衆の甘さというもの
だ。これから半年もすれば、元金など吹っ飛んでいるだろう。そ
のとき大衆はタダほど高いものはないことを身にしみて思い知る」

 ・・・・・
 「君たちが金儲けのために金融を始めたならそれは最初から
間違っている。金儲けのため、金融業ほど遠回りなものはない。
これがわかるには最低十年はかかるだろう」

 七郎「金森さん、ではどうしたら?」

 光蔵「まず死ぬのだ。死んで、それから生き返るんだ。切り結ぶ
太刀の下こそ地獄なれ、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、・・・・
私にしたって何度も死んだ人間だよ」

 ここに猛将の一面が消え、高僧の一面が現れたのだ。

 ・・・・

 「まあ、何年かして、死んで何度も生き返ってからまた訪ねておい
で、私は今日は忙しい」

 映画では完全に粉砕されてひどいシーンだったが、原作は実に感銘
深いのである。

 「私だって何度も死んだ人間だよ」という金森光蔵のこの言葉、実
は今の私を支えている言葉でもある。・・・・・・何度、死んだか分
からない。だがいつも、そこから立ち上がったではないか。受難も幸
いとして、死んで何度も生き返った。これからもその繰り返し、だと
思う。そこにしか人生はないはずだ。

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