ドナルド・キーン『日本の文学』中公文庫、2020年、没後一年に寄せての復刊

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 ドナルド・キーンさんは2019年に不運に亡くなられたが、そ
の没後一年を機会に復刊、最初の邦訳出版は1963年のはず。京
大留学前のケンブリッジ時代の講義をベースにした内容で翻訳
はあの吉田健一さん。

 この本の目的はキーンさん、以後著者と呼ぶが、「日本の文
学で驚嘆し、また美しいと感じた作品」を欧米の読者に紹介す
るためであった、という。

 万葉集について述べることは断念した、というのは連歌と俳
句を考え論じる、余地がなくなるからだったそうだ。ただ文学
としてみれば、どうみても万葉集のほうが重要だと思うが。だ
が万葉集に歌われているテーマは、兵士として向かう男の気持
ち、妻や子の死、貧窮な生活の苦しみ、自分への悲歎、などは
普遍的なテーマであり、日本固有のものではないという。だが
連歌や俳句は日本特有だということで、非常に重点的に述べら
ている。だから西洋の詩に影響を及ぼし得たというのだ。

 著者によれば日本語ほど、意味が曖昧で不明確な、暗示に富
む言語はないという。しかもそのLevelは類例がない、という。
この日本語の特色を、可能な限り利用したものとして、例えば
掛詞で二つの世界を同時に映し出す「二つの同心円」ふうな表
現に驚くという。その意味で、著者の興味は、万葉集より新古
今、人麻呂より定家となるという。

 これは掛け言葉と縁語による道行文となるわけで、近世の世
話もので、道行きがいか重要な役割を果たすかを指摘する。「
曽根崎心中」で道行きの徳兵衛は惨めで凡庸な主人公でしかな
いが、「寂滅為楽を悟った徳兵衛は歩きながら背が高くなる」
というような諧謔は、日本人ならなるほどと、理解して笑える
だろうが、欧米人には通じそうもない。この奇想天外な指摘は
いかにも欧米人向けの本であり、逆に言うなら日本人にも興味
を催すものだろう。

 連歌と俳句は結構長々と、だが源氏物語、芭蕉、西鶴などに
はあまりふれていない。が、その少ない記述ながらまあ的確だ
ろう。西鶴の小説家としての最大の特徴は「機知と文体」であ
るとの指摘は納得できる。

 近代の作家では森鴎外、谷崎潤一郎、啄木、太宰治らが主に
取り上げられている。太宰など著者の翻訳は多く、やはり好き
な作家のようだ。日本人には気づかない意外な指摘が多く、な
るほどと思わせる。太宰の「御伽草子」は戦時下に書かれた、の
は驚きだと著者は中公版文学全集「太宰治」で述べていたと思う
が、いたって的確だろう。

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