イタリア映画『終着駅』1953、『逢引き』をめざせど遠く及ばず。ハリウッドの思惑に毀損されたイタリアン・リアリズム
この映画、主演二人はハリウッドの女優、男優、舞台は
イタリア、主演は英語で話している。他の周囲のイタリア
人は多くがイタリア語、おかしい?少なくともモンゴメリ
ー・クリフトはイタリアの若者の役なのだから。で、イタ
リア映画なのかアメリカ映画なのか、要はハリウッドの映
画プロデューサーのセルズニックが名画『逢引き』に匹敵
の情趣あふれる恋愛映画をと入れ込んで『自転車泥棒』の
デシーカ監督に依頼、そのイタリア映画の魅力を期待した
わけであり、イタリア、アメリカ合作映画となるが、基本
はイタリア映画の仮面を被ったハリウッド映画ということ
だろうか。
「自転車泥棒」のペーソスと『慕情』ジェニファー・ジ
ョーンズの魅力が合わさったら、と思ったのだろうか。
つまり、アメリカの若い人妻とイタリアの純情な青年が情熱
に燃えながら、ついに別れる。永遠の別れ、デ・シーカ監督
はさすがに感傷の涙など流さず、ただひたすら人間の精神の
奇怪さに目をつけている。この人妻の、ありふれたような女
性の心の綾の不思議さに着目する映画製作、である。非常に
心理的な映画とはなっている。
YouTubeで全編鑑賞できる。それをタブレットなどで観る
のが最上だろう。
デ・シーカが二人を捉えたのはローマの大停車場の雑踏の
中での一時間半ほど。そこで去就に迷う人妻は、列車に乗って
パリに発つのか、発たないのか、という迷いのなか、思わぬ
事態に引っ張られる。この凝縮された時間的制約こそが映画の
極意、とデ・シーカ監督は考えたようだ。
最初は青年のアパートの戸口の前で行きながら、思い直した
女が、ローマ駅に向かう描写。青年に黙って立ち去ろうと決意
し、ローマ滞在中に世話になった姉の家に電話を入れ、甥の少
年に急いで荷物を持ってこさせようとした。
『慕情』で大当たりだったジェニファー・ジョーンズの演じ
る女は幼い子供がいる人妻、というから30歳前後の設定だろう。
モンゴメリー・クリフト(モンゴメリーではない!)の設定年齢
はどうもはっきりしないが、同年輩だろうとは思える。青年は
学校の教員で英語を教えている、だから英語で話すのかどうか
知らないが、これは図星だろう。父親はイタリア人、母はアメ
リカ人という米伊の合作という事情の反映がここにも及んでい
る。青年は、でも30歳前後で青年呼ばわりもおかしいが、設定
ももっと若いのかもしれない。俳優としてジェニファー・ジョ
ーンズよりも若い気がする。で青年と云うが、青年は女の来る
のが遅いと、彼女の姉の家に電話をかけるが出発すると聞いて
仰天する。
ここはフランス映画「ガラスの城」を想起させるが、それか
らこの男女の運命は簡単には終わらない。青年に会えばもう別
れられないという女、列車に乗るのをやめて二人は構内の喫茶
で話、情熱が滾るかのようだが、あのイギリス映画の名作「
逢びき」の見事さ、美しさに遠く及ばない。二人の恋愛の進行
度も実際、まったくわからないのも難。
面白いのは、その後、二人が駅を出ようとしたとき、さきほ
ど荷物を運んでくれた少年がまだブラブラしているのを見て声
をかける。この声をかけたのは、なんというか女の微妙な潜在
意識の発露で狂気もあるが、それがきっかけで急遽、意を翻し、
アメリカに戻るという。
青年は失望する。「なぜ声をかけた」と青年は怒り狂い、女
を平手打ちする。ここは、どうもしっくりこない。女は少年と
ともに構内に消えるが、この青年の激情も後悔もまずそこそこ
描かれている。
わびしい気持ちになった女は何気なく三等待合室に入る、ふ
と貧しい炭鉱夫の妻が産気づいた容態に同情し、救護室に連れ
ていく。ここらは、いかにもデ・シーカ監督らしいところで、
イタリアンリアリズム、「自転車泥棒」から「鉄道員」にまで
流れるものだ。
女は少年と別れ、プラットホームに佇むが、後悔した青年は
女を探しまわる。偶然、向かいのホームに女を見つけ、線路を
横断する。あぶなく轢かれそうになった。この場面は全くのト
リック撮影だが、非常に拙劣。だがその後の女と青年の抱擁、
という心理の過程はまあ納得できないこともない。だがここか
ら女の心理は二転三転、というのか不倫に突入か、元の妻に戻
るか、とは全然いかず二人は空の客車を見つけ、そこにはいっ
て抱擁、恋の興奮も表現はいいが、これはいかにもハリウッド
的、イタリアン・リアリズムが消え去る。
で最後に意外な事件発生で二人は別れる。密会を鉄道員に見
られ、鉄道警察に引き渡される。ここで某国家の大使が到着、
構内混乱の状況を挿入が巧み、もし裁判に回されたらと女は蒼
くなり、青年は怒る。署長は子供もいると聞いて「列車で出る
なら温情で放免する」という。女は出発するという。
で、映画としてみたら、思惑のイタリアン・リアリズムを
活かしたハリウッド風メロドラマの魅力、全くギクシャクし
ている感はある。なぜどうやって二人が知り合った?どの程度
恋愛進行?がわからない。モンゴメリ・クリフトは一本気な青
年を演じて入るが、どうも、なぜ?という不自然さは否めない。
ジェニファー・ジョーンズの魅力欠乏も特筆もの、「慕情」の
ようにはいかなかった。要はジェニファー・ジョーンズが中心
だが、「逢いびき」のシリア・ジョンスンに遥かに及ばない。
デ・シーカ監督というが、特別悪くはないが、やはりハリウッ
ドの思惑でギクシャクした印象は否めない。
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