F・スコット・フィッツジェラルド『偉大なるギャツビー』陶酔と侘しさ、華やかさと空しさの「永遠の青春」の姿

作者はFrancis Scott Key Fitzgerald、日本ではS・スコット・
フィッツジェラルドという。1896~1940,あのアメリカの
禁酒法時代にその最も充実の作家生活を送った、・・・・と
云っていいのかどうか。
まず誰でも、我々の世代だがあの映画『華麗なるギャツビー』
、その原作者として知っている。だが実際にその作品を読み切
るというのは努力が必要である。可能なら英語で読み切りたい。
1925年の発表である。映画の邦題は「華麗なるギャツビー」で
あったが小説としての邦題は最初は研究社からの翻訳で『偉大な
るギャツビー』その後の新潮社版では『グレート・ギャツビー』、
角川文庫版はちょっと内容の雰囲気を暗示する『夢淡き青春 グ
レート・ギャツビー』、その後、映画に合わせたのか『華麗なる
ギャツビー』と邦題を変えた。
全体を流れるものは、なんというのか、作者が自分の夢や成功
を冷たく突き放しているような雰囲気であり、云うならば酔いつ
つも冷めている、という情感が実は作品を引き締め、甘さを排除
している。陶酔と侘しさ、華やかさと空しさが織りなす、確かに
「永遠の青春」的なものを表現している、というべきか。20世紀
アメリが文学を代表する作品と評価されている。
内容は端的に云うなら1920年代のアメリカの禁酒法時代、ギャ
ツビーという名前の青年が酒の密輸で途轍もない巨富を獲得した
成功譚である。
そこで青年について、さまざまの噂が乱れ飛び、やれオックス
フォード大学出の御曹司だとか、逆に殺人の前歴もあるとんでも
ないアウトローだとか、その生活はその超莫大な利益でニューヨー
ク郊外の豪邸に住んで週末には必ずと行っていいほど、大パーティ
ーを催しているのである。
その豪華な大パーティーの開催の動機は、以前、貧しかった彼を
捨てて大金持ちと結婚した元恋人の気を引いて心を取り戻そうとの
考えからだった。明治の日本の「金色夜叉」のようで、実は「金色
夜叉」もアメリカのある小説を下敷きにしたものだった、・・・・
それはともかく、翻訳だけでも語り口は巧妙に思われ、あの未曾有
の大ブームの背景がよく表現されている。アメリカ人は懐古趣味が
強いという。歴史は長いとはいえないゆえに、この禁酒法時代にア
メリカ人は限りない懐かしさ、愛着を感じる、それを見事について
いる小説だろう。
ともかく主人公、ギャツビーはとにかく壮大な夢に取り憑かれる
男であり、富もかっての恋人もされらだけでは彼の夢を満たすもの
にはならない。そんな非現実的な夢などバカげているようだが、あ
りふれた使い古された青春とか、幻滅、挫折、それらが生き生きと
蘇るかのようだ。
映画を見ていたらおおよそわかると思うが、ギャツビーは運も悪く
元恋人の亭主の策略にかかり、自宅プールで射殺されてしまう。生前
の華やかさ、とは裏腹に葬儀には参列者もいなかった。これが実際の
作者のフィッツジェラルドの葬儀の実態と重なる部分がある。
ラストの原文
Gatsby believed in the green light,the orgastIc future that year by
year recedes before us. It eluded us then, but that's no matter -tomo
rrow we will run faster,stretch out our arms farther・・・,And one fine
morning・・・・・.
So we beat on,boats against the current,borne back ceaselessly into
the past.
この記事へのコメント