結局、旅行先は京都だけでいい?この割り切りが人生を生き返らせる
私は基本的に旅行はしない。生まれ故郷の街の北に隣接の
美星町、実はルーツの土地なのだが、足を踏み入れたのは還
暦を過ぎて車で一人で行った時である。日本中、都道府県で
足を踏み入れたところは少ない。今でも愛知県、滋賀県、静
岡県、愛媛県、徳島県、島根県、北陸すべて足を踏み入れた
ことがない。新幹線で通過では当然だが訪れたことにはなら
ない。通過すらしないよりはマシであるが。愛知県、静岡県
、観光も仕事でもとんと訪れたことがない。無論、海外旅行
は一度もなく、生涯間違いなくないはずである。
私自身、持病もあり、食事が制限される。それと旅行に伴
う出費の多さを考えると、正直、旅行をやろうとは思わない。
ただ、ではどこにも行かないかとなると、やはり一箇所くら
いは、である。それが京都である。
近年は京都もオーヴァーツーリズムが問題になり、市民生活
にも深刻な影響があるとは聞く。それを承知でやはり京都は、
基本的に私の唯一の旅行先である。やはり、そこに親しい友人
、知人はいて会食を行えるようなレベルの親交が必要である。
京都は旅行と言って実は行ってもほとんど観光と思って歩き
回ったり、移動はしない。どこまでも友人、知人の方とのおつ
きあいが中心である。それで時間があまればホテルに近い場
を散策するわけである。
例えば天竜寺から落柿舎、清凉寺(嵯峨釈迦堂)と嵯峨あたりを
歩くときもあった。正直、歩くのはしんどい、と感じる私だが、
これも身体のためと思ってである。
だが何よりお寺の多い東山方面である。ことに詩仙堂の近辺
は清々しい。・・・・・・ただオーヴァーツーリズムだから、
散策するなら午前中に限るべきだ。雑踏では散策の爽やかなど
吹き飛んでしまうものだ。ホテルに早めに戻ってゆっくり物思
いにふけるほうがベターである。また夕刻を迎えると京都は新
たな魅力を持ち始めるものだ。
ワーズワースの詩にこんあものがあった
読書は限りない労苦
野に出てヒワが啼くのを待とう
いっそう知恵がつく
ツグミの鳴き声もいいものだ
それは立派な説教者だ
自然を先生にすればいい
健康による自らなる智慧
快活な心からの真実を与えてくれる
とまあ、一部なんだが、本を捨てて自然に学べ、そうだ、読書
は労苦に違いないと思う。
また今度、京都に行きたいと密かに予定を立てている。やはり
友人、知人との会食をセットして、である。それと同時に午前中、
、なんとか散策できたら、と平凡だが思っている今日このごろで
ある。
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