中沢けい『女ともだち』1981,明治大在学中の作品、日常の気だるい会話に潜む感性の鋭さ
中沢けいさんか、・・・・・1959年のお生まれ、私より
ちょっとばかり年下、横浜生まれ、明治大学政経学部卒業、
この作品はまだ在学中のもの、というよりこれ以前に『海を
感じる時』で群像新人賞、1985年には『水平線上にて』で
野間文芸賞新人賞、若い時期からご活躍、2005年から法政大
文学部助教授、いたってプライベートな話だが、facebookを
されていて、私のfacebookの「知り合いかも」に名前が出ら
れ、友達リクエストしたら直ぐに承認、気取らぬ率直な方だ
と思う。
さて、群像新人賞受賞後の明治大最終学年時の作品、実に
ライトな作品である。感性だけで出来ている、というべきか。
さりげない日常、その中のショートな会話、その繰り返しで
ある。
だがタイトル『女ともだち』、これがいい。世間によくあ
りがちな「男ともだち」では全く見向きもされなかった?か
どうか、その可能性は否定できない。何かといえば「男友達」
を描いてきたのが日本文学の流れだろう。「男やもめに蛆が
わき、女やもめに花が咲く」との諺言の通り、「女ともだち」
というタイトルで一気にフレッシュ化される。
女ともだちは複数出てくる。これぞ感性、というのも大袈裟
だが、ライトな、ショートな会話が続く。
「何か面白うそうなのある?あったら貸してあげるよ」
隆子は後ろ手で扉を閉めた。扉と云って唐紙で簡単な鍵がつ
いているだけだ。紙だからノックしてもペコペコいう。
「あんた推理小説なんか読むの?」
「うん。高校ぐらいかなかな、推理とは限らないけど。おね
いさん、読まないの?」
「アガサ・クリスティくらいは知っているけど」
「推理じゃないけど、ハメットなんか読むとすかっとするん
じゃない」
「なんだっけなぁ、あ、そうだ、『ジュリア』って映画で名
前だけなら聞いたことある」
「ありゃ、かなりずれている。あのジェーン・フォンダが出
ていたでしょ」
また
「あのさぁ」
「・・・・何あに」
「男でも女でも気持ちいいんだよ」
「・・・・・・何が?」
「おねいさん、知らないでしょ」
とまあ、ショート感性会話である。中には性的な内容の会話も
あるが、そう多くはない。日常を若い女性作家がどう感じ取るか、
である。なんだか当たり前なようだが、流れる感性の水々しさ、
というべきか。難しい理屈を文芸評論家ならつけるにしても、登
場の三人の若い女性の云うならば生態が浮かび上がるようだ
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