新田次郎『風の中の瞳』講談社文庫、中学生を描く学校小説、1958年からのロングセラー
あの『若き数学者のアメリカ』の父上である新田次郎さんが
1958年、昭和33年に発表した作品、武蔵野の面影を残すという
飛塚中学の生徒たちと新任の先生の一年間の物語である。
ロングセラーと書いたが紙の文庫本などはもう出ていないよう
で現在はKindleで現役である。中学生の学校生活のテーマは実
際、現在の中学生とさほど変わるものではない。中学三年の生
徒、特にあるクラスの男女の生徒とその担任の新任教師がまさ
しく主要登場人物、それ以外はさほど出でこない。中学校内
で起こった一年間のいろんな事件を描き、その対応にあたふた
する少年少女たちの精神風景、友情、ほのかな愛を語る物語で
あり、まだ終戦からさほど年数も経っていないというのか、新
しい時代への希望は込められた作品だろう。
武蔵野の古来の面影の強い、「東京の郊外の、いわば戦後の
新開地っていうような場所」にあり「父兄は教育に熱心だし、
生徒もよく勉強し」て学校内はいたって活気に満ちている。思
うの昭和30年代前半こそ、日本の子供たちがいちばん幸せだっ
た時代だろう。もうあんな時代は二度とない。
いたって健全な中学のようで、どこにでもある中学ともまた
云いにくいかもしれない。書かれている修学旅行、高校受験の
準備絡みで起こる事件、日常のいざこざ、まあ基本は平凡な事
案である。
物語は三部に分かれていて、第一部「若草の庭」では担任の
教師の新任の挨拶、バレーボール、ソフトボールの試合ぶりで
負けん気の強い女子生徒、いつも考え込む少女、クラスで信頼
を集める少年、また点取り虫と揶揄される少年、登場人物のそ
れぞれの性格が紹介され、これは物語の巧みな伏線を敷いてい
る。
メインの登場人物は上述のとおりだが、さりとてそれが主人
公とも言い難い。要は描写というべきか、家庭の事情から修学
旅行にも行けず、高校入試の準備の補習にも加わらない、ちょ
っと頑固な感じの川村、という少年の行動が物語のテーマとな
っている。担任の寺島先生は川村の気持ちを和らげようと、山
登りへの参加を誘う。
で第二部「あらしの中に」は寺島先生をリーダーに蓼科山に
登り、天候激変で一行の10名が遭難するという話で、結構、こ
れスリルがある。山の新田次郎、とうべきで、登山に際しての
注意、教訓という内容である。川村はこの登山を学校生活の最
後の思いでとするつもりで、うれしいままに騒ぎすぎ、体力を
消耗し、先生に背負われて下山という失態を演じる。全員、救
助隊によって危機を脱し、下山できた。これがまた学校内で議
論を巻き起こす。
第三部は「希望の門」、運動会が終わり、高校入試が近づき、
生徒たちの落ち着かない精神状態が述べられる先生の気配り、
試験の結果についての生徒たちの反応、落ちて自殺しようとい
う少年の話もあるし、川村は修学旅行にも行かず、気象観測班
で大活躍が表彰され、それがきっかけで町工場経営者に気に入
られ、そこへ就職という話。
無線講習所から気象庁勤務、という新田次郎さんの経験で、そ
れらにまつわる話を巧みに挿入している。でもお説教じみても
いないのはいい。澄田千穂という少女、クラスの少年に好意を持
たれ悩む話、川村ともかかわって最後まで続く。清純な少女の
気持ちをシリアスでなく描いているようだ
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