チェスマン『死刑囚2455号』新潮社、死刑絶対拒否の死刑囚の自伝、手記


 刊行、と云って翻訳が新潮社から刊行されたのが昭和31年、
1956年の初頭というから古書である。1955年のアメリカで映
画化されてもいるから実は結構、知名度が高い本なのだ。そ
のwikiの記述も詳しい。

 著者 Caryl Whittier Chessman (May 27, 1921 – May 2, 1960)

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 ともかく死刑囚が書いた自伝、手記というと、懺悔の涙たら
たらの本、かあるいは人を驚かすような実話、体験談ろいうこ
とになる。この本はそのどちらでもない。ユニークである。つ
まり「確かに俺は悪いことはやった、大抵の悪事は全部やった。
だが死刑になる理由などない、試験は断固拒否する」というこの
だ。なぜか?である。その生涯の事件を書き連ねている。

 キャリル・ホイッティア・チェスマン、というアメリカン人
である。その子供時代は、大恐慌、また病気と災難、不幸の連
続だったという。最初は音楽家を目指そうとした、だが音痴で
あった。さらに自分でも理由がわからない興奮状態にしばしば
なった。母親は交通事故で半人不随、生活苦から父親はガス自
殺をはかった。病身の子供は親の危機をすくおうと盗みを覚え
る。

 15歳のとき近所の娘と恋愛し、だが失恋。家出、女、酒乱、
その後は悪の道。強盗して何度目に捕まって少年刑務所に、そ
れから昼間は父親の仕事を手伝い、通学もし、母の看病、だが
ピストル強盗、母親の高額な治療費を得ようとして襲撃を続け
る。殺人は二回ほどやっているようだ。職質で逆にパトカーを
奪って逃げるなどの武勇伝もある。

 捉えられて刑務所に入るが、模範囚となる。だが油断を誘い
脱獄に成功。うまい手づるを見つけ、ヨーロッパに渡ってヒト
ラーの暗殺を考える。そうすれば母親の治療費も稼げる、と思っ
たはずもない。幾度も保釈申請し、許可されている。

 三度目の仮保釈中、強盗レイプで捕らえられる。アベックの
乗る車を襲撃、当時のアメリカによくあった犯罪だそうだ。

 証拠も揃えられ、ついに死刑判決。だが死刑判決には絶対抵抗
の姿勢を崩さない。弁護士は誰も引き受けない。国選弁護人制度
もなかったのだろう。独房に法律書を持ち込み、一切の手続きを
自分でこなし、さらに法律の勉強を続け、書き上げた上審書45万
字、だが控訴棄却、それが繰り返され、判決後8年経ってもなお独
房にいる。

 異常性格、異常心理学の本と思えば分からぬでもないが。歪ん
だ目で見た社会の姿、ユニークではある。古書で入手可能。

 著者は1960年5月2日、電気椅子で死刑を執行された。

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