柳澤健(外交官)『主水の切腹』、介錯依頼に舞い上がった間抜けな川田主水の惨めな最期
外交官だった柳澤健1989~1953,の小説である。谷崎潤一郎
らとともに「新思潮」同人でもあった。一般は刊行されていな
い。小門勝二という人の「私家版」著書に収録されていたという。
永井荷風の後押しで「三田文学」に掲載されたという。
川田主水は父の後継で百五十石をいただき、御近侍役を務め
ている。二十五歳の妻がいる。急のお召で城に出ると、藩公の
前に呼び出された。
藩公は家老の西郷頼母の言に耳を貸していた。主水が入ると、
家老は丁寧に藩公に一礼し、外に出た。
藩公
「主水よ、実は、ぜひとも頼みがある。そちも知る通り、この
城の落城も間もないと思える。その場合、自分は城を枕に切腹す
るつもりじゃ。その折に、主水、そちがわが介錯を行ってくれ」
意外な仰せだった。主水は興奮で体が震えた。やがて熱い感激
n涙が。その夜は床に入っても嬉しさが湧いて仕方がなかった。
数多い、接待役のなかからこの自分が選ばれるとは、と。夢では
ないか。寵臣下という言葉が頭を巡った。
主水はそれを自分だけの胸に秘めておくことは出来ず、機会あ
るたびに吹聴した。同僚たちはそれを聞いて誰一人、羨ましそう
な顔はしなかった。逆にあきれたように「そんな不吉なことを」
と気の毒がる者もいた。
戦いは敗北、城内の混乱は激しくなった。主水はお召によって
城中に呼び出され、藩公の部屋に入った。多くのものが騒いでい
る。主水はわけがわからぬまま、前に進み出た。
「殿、ご介錯をいたしましょう」
畳に頭を付け、頭を上げようとした時、
「バカ者が、下がりおれ!」
という家老の声が響いた。主水は死骸となって御小姓部屋に倒れ
ていた。
会津藩、開城した。藩公の松平容保、会津藩主父子は降伏し、軍
門に下った。
「殿の切腹」が城内の士気の高揚のための謀略であったのか、
もしそうなら川田主水は間抜けな若侍と見抜かれていた、かもし
れない。
この小説、実際、もう読むことはできない。小門勝二著『玻璃
紅燈』に収録というが入手は不可能である。私家版だったという。
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