石濱恒夫(川端康成名義)『女であること』石濱恒夫の代表作、女心の闇を描く、石濱文学のうまみ


 川端康成名義の他人の書いた作品は多い、何より、川端康成
名義なら売れる、という現実があった。有名人の名前名義で、
ゴーストライターが書いて本を売る、は出版界の常道だが、著
名作家の名前で出せば売れる、逆に絶対に代作がなかった作家
も多い。わかり易い例なら芥川龍之介や夏目漱石、森鴎外でも
樋口一葉でも太宰治でも三島由紀夫でも大江健三郎でも、まった
く代作はない。谷崎潤一郎もない、代作が多い代表、まして著名
の代表は川端康成。別に海外の作家でも大デュマ、またショーロ
ホフ「静かなるドン」も多くの代作部分があるという。

 考えてほしい、あのツギハギの『雪国』の著者に『女であるこ
と』、また『古都』も書けるはずないだろう。

 その石濱恒夫作『女であること』映画化もされた、香川京子主
演じる、歌手約で出演の丸山明宏が映画の最初の出だし、タイト
ル画面に出る。

 でどんな作品、
 
 喩えでいうなら、列車で旅立つ人に、その中で弁当代わりに食
べるようにと、だから食べやすいように包丁を入れた大阪のバッ
テラとか雀鮨!のようなものが石濱恒夫作『女であること』と思え
ばいい。

 新聞に長期連載された作品、川端康成の家に住み込み書生だっ
た石濱恒夫氏の決めが細かい、市井の事情に通じた表現、こりゃ
川端には書けないだろうと歎息せざるを得ない、新聞連載を考慮
にいれて無駄な描写、小道具が、歯の浮くようなセリフが多い。

 ただウマいと思うのは、川端が書いたようにみせかけるための
住み込み書生、石濱恒夫の配慮努力で、わざとらしい小道具を、
意図的に仕込んでいるということである。

 新運連載という作品の基本的性格から次回に読者の興味を巧妙に
つなげる、という見事さ、同時に川端らしさも石濱さんは組み入れ
ている。苦心の作だ。このあたかも矛盾した要求を一人二役という
なら石濱さんは見事にやりおおせている。

 石濱恒夫さんの努力は作中人物、それぞれに魅力を付与してい
る。川端康成名義でも日本文学史の真実を伝えねばならない、と
いう意味で書いたみたい。

 まず原作を読まなければさっぱりわからないと思うが、佐山市
子、三浦さかえ、という女性。『女であること』というタイトル
がついている限り、女性が何人も出てくる。

 佐山市子は、もう40歳を過ぎている、東京女子美術学校を出て
好きなことをやっていてやや晩婚となって、30歳ころ現在の夫
と、弁護士の佐山卓次と結婚、子供はいない。

 この佐山家に、大阪から若くて、いうならばおきゃんな家出娘
が飛び込んできた。佐山夫人の女学校友達で、繊維品を扱う三浦
商会のオーナーとなっている三浦夫人、三浦音子の娘である。

 が、佐山夫妻の家にはやはり若い女性、妙子という娘が引き取
らている。妙子の父親は殺人をやってその弁護を引き受けた佐山、
また刑は確定しない。妙子は多摩川の河畔の佐山家から東京の外
れの拘置所に父親の面会に出かける。父親が殺人犯というのは妙
子にあまりにの心の痛手である。

 そこへ大阪のお転婆な三浦さかえ、母から銀行に行ってきてと
の用事で、引き出したお金をそのまま持って東京に来た。いまで
は佐山弁護士の女性秘書のような存在となっている。

 とにかく万事につけて明朗快活な三浦さかえ、親が殺人犯とい
う暗黒の妙子、まるで逆だ。さかえは典型的な戦後派、作者(石濱
恒夫さん)は作中、何度も「若い娘って難しい」と登場人物の口を
借りてもらしている。だが難しいのは若い娘だけではない、佐山
夫人もまったく、難しい。現在の夫と一緒になる前に、佐山夫人
は恋愛し、あの水産技士に身を任せている。新聞小説としての作
品ゆえに意図的に筋がもつれている。また夫の友人で大卒でまだ
若い青年に慕われて、ふと心が動揺する。銀座で青年とばったり
会って、中村扇雀の舞台をそのまま観に行くという次第だ。

 殺人犯の娘、妙子にも有田という大学生の恋人ができる。つま
り、この作品に登場の女性はどれも深い心の闇があるようだ。逆
に男は単純にしか描かれていない。

 妙子もさかえも、市子も、女でなければいいように思えたりし
た。ボーヴォワールの「第二の性」に引用されているある哲学者
の言葉が市子に浮かんできた。

 「女であるということは、じつに奇妙な、不純な、複雑に絡み
あった何かであり、どんあ形容をもってしても、それを表現し切
ることはできない。いろんな形容を用いると、それがたがいにひ
どく矛盾していて、女ということでなければ、こういう矛盾には
耐えられない、と思われる」

 これが作品モチーフであろう。


 最後に、川端康成は確かに日本文学史上で尊厳を維持されねば
ならない作家、という事情はわかる。だが何より重要なことは、
誰が書いたかという出発点の真実だ。そんな例は有名作家でも多
い、といって川端康成は多すぎないか。だから事情を知っていた
稲垣足穂が「川端に価値などない」と何度も言い切っていたし、
稲垣足穂に熱狂的に私淑した三島由紀夫も川端について「もは
や作家ではない」、「存在自体が恥だ」と痛罵したのである(ただ
し表には出ない)


  石濱恒夫さん作詞、「こいさんのらぶこーる」

 こいさん、こいさん、「女であること、あゝ夢みる」

 真実を見るべきである。

 映画 「女であること」東宝、1958、川島雄三監督

 妙子:香川京子、さかえ:久我美子、市子:原節子など

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