「母」が死して三年、。私の場合の「海辺の光景」(安岡章太郎先生のひそみに倣って)

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 母の死をそれとなくはカミュの異邦人「きのう、ママンが
死んだ」とか安岡章太郎の「海辺の光景」、精神病院病棟の
母親の死であるが、それなりに真情は備わっている。私に対
して質量とも天文学的な暴言を浴びせ続けた「母」であった
が時期的にそれも変動があった、が間違いなく云えるのは、
あの「母」のコンセプトが次男の私への憎悪であった。それ
も私の最初の記憶以前から始まっていて、最後、遠方から私
が一人、母の世話をしに一週間に一度、多ければ二度、はる
ばる通っていたのに、生涯のコンセプトが最後に極端な形で
露呈してしまった。半年以上も私のささやかなコーポへのお
よそ馬鹿げた執拗ないやがらせ、どこに行っても相手にされ
ないのでついに電話でいきなり「殺す」・・・・・実は「殺
す」、「罪にならなきゃ殺す」、の類の暴言では済まされな
い悪言を数しれず浴びせられたが、さすがに最後の最後にこ
れでは、・・・・・とさすがに「これで最終的に縁が切れた」
と思うしかなかった。「殺す」は絶対に一度たりとも冗談で
言ったことはないと断言できる。「殺す」的感情はは私の幼
年からなのだから、もう心底の本質だろう。実はそれはその
父親、私から言うと祖父がまさしく私を憎んでいじめ、兄を
かわいがった、のとまるっきり同じであり、祖父の性別を変
えていっそういやらしくなった、というべきだろう。あまり
幼い私をいじめるので叔母が大阪、東淀川駅近くのアパート
に半年ほど引き取ってくれたくらいだ。叔母の生活も苦しか
ったと思う」「箸だけもって大阪に出た」というくらいだか
ら、よほど見かねたのだろう。あれほど凄まじい悪意のひと
を見たことはない。宇宙開闢以来の悪意を集めて煮詰めたよ
うな性格と私は表現するが、それが本当かどうか知らないが、
そうとでも言うしかない生物学的にはの「母」だった。異常
である。・・・・・・だが報道ではひどい毒親は確かにいる、
ものだがあんな念のいった悪意の凝集は想像しにくい。文学
の世界でも悪魔的性格はよく、というのか、たまに読むが、
私の「母」ほどの例はいまだに知らない。

 正直、やれやれである。小学校以後、細かい配慮が子どもの
ために必要である、あれこれ親は気をつかわねばならないが、
あの憎しみでいじめる、罵倒の嵐、ほんの小さい頃から、だか
ら細かい配慮などあるはずはなく、明日学校の工作の時間に必
要な道具、材料をと先生に言われても、最初から私はあきらめ
るしかなかった。もし言ってもろくなことはしないことは確か
であう。逆に因縁をつけられるくらいなもの、誠に受難な人生
となったすべての原因はあの親(父!も無論、含む)に帰せら
れる。

 兄から連絡が、一足先に私が精神病院認知症病棟に着いた。
部屋を入る、見たこともない老婆が死んでいた。栄養失調、
餓死特有の膝を立てている遺体だった。点滴栄養の余命は三ヶ
月、そのとおりだった。精神病院の筋書き通りだったと思う。
「延命措置はやらない」で私達、兄弟の印鑑をとっている。
何も違法はない、のである。栄養失調は髪は抜けかけていた。
あの無数の浴びせられた罵倒も、むなしく干からびていた。
悪意ほど憎むべきものはない。あのような存在はあってはなら
ないと思う。怖ろしいことである。病院は入院中ほぼ、保険
請求はゆうに100万円を超えていたと思う。悪意にいい末路
はない。何より善意と愛情こそが真実だ。

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 だから私は幸せになる義務がある、悪意はもういない、私に
とって最大の生きることの叱咤なのである。

 

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