佐藤春夫『光の帯』1964年3月、佐藤春夫、生前に刊行最後の単行本、推理小説的純文学の枯れた境地

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 佐藤春夫は1964年(昭和39年)5月6日、朝日放送ラジオの番組
録音を自宅で行っている最中に急逝した。享年72歳、今から思
えば若い。東京五輪の年である。その生前、最後に刊行の著書、
単行本となったのがこの『光の帯』である。

 序文で「これはわが最近に書いた推理小説である」と著者は
述べている。実はあまり知られていない?と思うが、佐藤春夫
はミステリー小説、というべきか、怪奇小説ではなく推理小説
に早い時期から関心を持ってそれらしき作品を書いていた。

 で、この本に収録は「夜ざくら物語」、「光の帯」、「古代
都市の謎」、「真夏の夜の悪夢」の四作品である。この推理小説
集は、いわゆる推理小説作品集とはどうも受ける印象が相当に異
なる。その序文にはさらにこう述べてある

 「わたくしの推理小説は犯罪や探偵的なものを比較的に少ない
ものにして、その間に純然たる推理だけを楽しむものでありたい」
とあるように、推理小説的純文学、と呼ぶべきだろうか。

 戦前は実は「探偵小説」という名称が一般的だったが、それが
戦後になって「推理小説」という名称に変わった、のである。戦
前、探偵小説全盛の時代から、佐藤春夫は推理小説、というのか、
推理をメインとする文学の名手だった。これは重要、ジャンルが
広いのが佐藤春夫である。どんな作品があったかと云えば『指紋』
、これはじつは有名である。から『陳述』に至る作品の系列、
飲みならz『美しい町』、『美人』『退屈問答』、『窓展く』、『
瀬沼氏の山羊』などという短編も含め、推理小説、推理小説的文学
というまさに佳作を量産している。

 で中でも『オカアサン』、『美人』は犯罪とか探偵と全く無縁な
推理をテーマとする純文学と云うべきで、いいたくもないが絶品で
ある。木々高太郎が「推理小説」という名称を戦後、広めたのは
実は『オカアサン』のような推理をテーマの純文学に影響されたか
ら、とも推測されるという。

 だからこの本も推理小説的純文学の名品の面目を失わない。とも
かく文学の抜群の素養がそこらの推理小説と異次元なものとなり得
ている。だから乱歩か正史のような作品を期待して読めば、失望は
免れないだろう。

 この作品集では『オカアサン』、『美人』などに比べ、妖幻さは
薄れ、枯れた味を醸し出す。

 やはり序文で著者がことわっているが、これは一種のドキュメン
タリーであり、推理的ドキュメンタリーとしては、淡さが際立つの
ではないか。だから自殺、他殺、事故死かに焦点を当てた『光の帯
』、『真夏の夜の悪夢』がその著者の心境を投影しているとみるべ
き、・・・・・・本書に漂う枯れた怖さ、は、本の刊行、二ヶ月後
の佐藤春夫の急死を予言しているかのようだ。

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