あゝ、人生は一気呵成、茫然唖然。逆に云えば失うものは何もない、強み
人生は長いか短いか、で云うならお話にならないくらい短い
と思う。短いが、若ければ、とりあえず、事故か病気か自殺で
もしないかぎり、何十年かの猶予、残りの時間はある。その、
とりあえずの猶予で、あたかも人生は永遠のような錯覚に陥る
のだが、しかし、その人生は試練、災難、苦難にまた満ちてい
る。時間的には全然長くない、全くもって短いのだが、その容
易ならざる人生行路は逆にやたら長くも感じられるのも当然だ
ろう。・・・・・・だがそれでも人生は、瞬く間に過ぎ去る。
最初の初期条件が特に問題がなく、家庭環境、学校なども特
に問題がなければ、それなりに辛苦はあるが、なんとか通常の
人生のルートには乗れて、・・・にしても人生は何が起こるや
らわからない。良好な家庭環境もさしたる意味を持たないこと
が実は多い。悪いよりいいが、悪ければ人生は散々になりかね
ない。才能もなくいたって無能な人間に悪環境、災難が降り注
げば人生、無意味に災難を振り払うだけで人生はむなしく過ぎ
てしまう。限られた人生、与えられた環境下で短すぎる人生で
、それなりの実績、ましてた世間を劃目させるような実績を
挙げるにはよほどの要領良さと幸運と才能がなければならない
だろう。そこで人生で成功をおさめたと思っても、もう残り時
間は短くなっている。そもそも必死でルートにしがみつき、結
局、社畜で生きて会社の利益のため、こき使われる人生がいい
とは思えない。
夏目漱石の直孫、漱石の長男の純一さんのその長男、房之介
さんも祖父の七光りがありそうなものだが慶応幼稚舎にふられ、
就職は世田谷の小さな出版社、それもすぐ倒産、その後は再就
職など毛頭考えず、ずっとフリーを貫いた。確かにフリーで生
きぬくのも簡単ではないが、下らぬ上司の眼顔をうかがって卑
屈に退職金欲しさで耐え抜くよりははるかいに好ましいと思う。
全く不条理な堂々巡りの挙げ句の人生の終焉へ一気呵成と誰
しもならざるを得ない運命にある。だからこそ、人間すべて「
限界状況」というほかはない。だれも真の意味で安穏と生きら
れる道理はない。
だからどうした?であるが、さて、昔というより古稀などと
云えば、とんでもない年寄り、古稀どころか還暦かなり前の
学校の教員、校長などでさえ、えらく老けてジジイのようだっ
た。それをはるかに超える私、数年前など昨日以前で10年前だ
って昨日以前に思える。それを逆方向におけば、わずか四年半
で「後期高齢者」、開いた口が塞がらないが、酷薄なる現実で
ある。人生で何が出来た?それなりの功績、実績を残せていた
ら多少は慰めにもなろうが、惨憺たる恥かきだけでは、はて、
これからどんな精神を保っていきるべきか、逆に云えばもうこ
れからは、こちらのもの、という精神状態になれる。つまり、「
失うものは何もない」強さと云うべきか、
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